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その1秒に震えたい

白き虎たち

5月の発表から早半年、待ちに待ったもののふ白き虎を観劇しました。

ここにつらつらしたためることと矛盾しますが、できればネタバレを見ずに臨んでほしい。まっさらな気持ちで受け止めてほしい。そんな作品でした。


作り手と演じ手が言外に伝えてくれたことをわざわざ素人が言葉にすることが限りなくナンセンスであるのも重々承知のうえで、答え合わせをするためではなく、いち観客の目に映ったものを書き起こすためにここに書いています。ここから先の内容はすべて私見です。


ついったに流すとそれこそネタバレになってしまうのでここを選びましたが、これから観劇される方はどうか読まないでください。お願いします。(笑)










悲劇を観に来たつもりでいると、おそらく裏切られる。この作品で描かれていたのは悲劇じゃなく群像劇。死に様じゃなく生き様。
あの時たしかにそこにあった、会津の少年たちの「いま」をぎゅっと詰め込んだ物語でした。

だからこそ隊士ひとりひとりが託された命を全力で生きていて、ひとりひとりが愛おしかった。ひとりひとりに泣かされた。その愛すべきひとりひとりのことを、せっかくなので振り返ってみました。

座長じゃないけど、時間が許す限り全員について語りたい、そんな気持ちが抑えられなくて。私見だらけですがお許しください。キャストのみなさんにも、そして観た人それぞれにも、百者百様くらいの受け止め方があると思うので、こいつはこう受け取ったんだな、くらいで許してください。(ふかぶか)

観劇時の記憶を頼りに書いているので、多少の聞き間違い記憶違いがあったらごめんなさい。気づき次第修正します。



伊東悌次郎

白虎隊一の剣士。
剣に優れ、かつ聡明。誰よりも腕っぷしが強いけれど物腰は穏やか。
貞吉はずっと悌次郎に憧れているけれど、悌次郎もまた貞吉のことを買っていて、貞吉が試合に勝ったことを自分のことのように喜んでた。

殺陣の経験がない横浜くんが悌次郎を演じるのはさぞかし大変だったろうと慮っていたけど、「初めてなのに」とか「若いのに」とかいう言葉を添えずとも、横浜くんの殺陣は華やかで立派だった!ついて行きくなる、同士も憧れる凛々しい剣さばき!

誰よりも強いのに自己主張は少なくて、それこそ背中で引っ張るような人柄。しかも隊士一の仲間思いで、自分はそっちのけで仲間を救おうとする、そして幾度も救う器の大きな人。

自己主張の少ない悌次郎は、何を志していたんだろう。何のために鍛錬に励んでいたんだろう。孤高の天才ってこういう人のことをいうのかな。

へっぽこの貞吉を誰よりも信頼して受け止める悌次郎は、だからこそ貞吉に「おまえは死なずに残ってくれ」と声をかけたんだろうけど、一番尊敬する親友に託されたその言葉は、その後の貞吉に重くのしかかっているようにも思えた。(そしてその重しを最後に降ろしてくれたのが斎藤さんだった)

安西くんがインタビューで「悌次郎はその背中を仲間が追いかけたくなる」と語っていたように、虎たちを背中で引っ張っていたのは悌次郎。終盤の貞吉との二人芝居は、悌次郎が芝居を引っ張っているようにも見えた。そのくらい背中を預けられる頼もしい人が、悌次郎であり横浜くん。

悌次郎が横浜くんで、安西くんの相棒が横浜くんでよかった。


田儀三郎

二番隊の中では最年長で、少年たちの兄貴分。
年下の隊士たちに向けるまなざしが温かくて、引っ込み思案の保鉄をいつもかばう優しさは本当のお兄ちゃんみたいだった。

思いを寄せる幼なじみとの関係を、自分のもしもの時を案じて断ち切る儀三郎。
武士として働くことに目を輝かせる少年たちの中で、ただ一人その先にあるものを自覚していた人のよう。

死に際ににかなえを見つけたとき、客席からは舞台の上にかなえの白い腕が転がっているように見えて、それが愛する幼なじみだとわかったときの儀三郎の反応とリンクして怖くなってしまった。

幼なじみを振っても笑顔で振るまう儀三郎を見て、弟分たちも笑顔で取り囲む。「儀三郎さんが笑っているから、僕たちも笑った」という貞吉の語りに胸が詰まる思いだった。いっぱいいっぱいに堪えた儀三郎の笑顔を見て、ぽろぽろ涙が零れてくるのでした。初日いちばん泣いたのが、誰の最期でもなくこの場面。



西川勝太郎

貞吉に言わせれば、隊士で唯一悌次郎に敵うかもしれない人。
それゆえ自分より少し上手の悌次郎にライバル心をむき出しにしているけど、その嫉妬は邪なものではなく、自分が悌次郎を超えてやるという清々しい向上心のよう。

土方に名前を覚えてもらおうと、なんとか手柄を挙げようとして周りが見えなくなることもあるくらい熱いプライドをもった人。静かに己を磨く悌次郎とは対照的に、闘志や野心をむき出しにして高めていくタイプ。

それだけに、去っていく貞吉に投げかけた勝太郎と茂太郎の言葉に泣かされてしまった。泣かされてばっかりだが。

土方に酒飲まされてる最中にウッとかゴブッとかマジでヤバそうな音をたてるので、ほんとうに喉を詰まらせやしないか心配です。(笑)あと本気で白目むいてた。(笑)


池上新太郎

土方に憧れる少年たちの中で、唯一はっきりと「俺は近藤さん派だ」と言い張る新太郎。
土方の立てた素晴らしい作戦を実行に移したのは近藤局長、自分も近藤のように隊士のてっぺんに立つ人間になりたい、という、周りの少年とは少しだけ違う夢をもっていて、その心意気を土方も嬉しく思っていたよう。*1

彼の中にあったのは、戦で武士らしく手柄を挙げることだけじゃなかったのかもしれない。というのも、戦場でなんとか手柄を挙げようと必死になっていた勝太郎を力ずくで止めたから。勝太郎のそばにいるのが新太郎でよかった。

あと、たぁの立ち回りは少し個性的で、観ていてとても楽しかった。技の切り替えが速すぎて目が追い付かなかったんだけど、ときどき逆手で持ってるように見えたのは気のせいかな。(ごめんなさいおそらく気のせいです)回転も刀の軌道も、斜めの動きがほんとうに綺麗だったなー。

20日に観た悌次郎との最期のやりとりは、お互い台詞が最後まで続かないくらい(抜けたんじゃなく息絶え絶えで)熱くて激しくて、命と命のぶつかり合いを直に感じているようで震えた。緩んで首元まで落ちてしまった新太郎の鉢巻が、偶然だったとはいえ、まるで必然のような猛烈な印象を放っていて脳裏から離れません。

石田和助

口は悪いけど情に厚い。語り部としての貞吉が一番温かい目を向けていた人。
完璧な悌次郎を負かそうと突っかかったり、嫌疑をかけられた保鉄を罵倒したり。でも、密偵を疑われた保鉄のことを不器用ながらも最初にかばったのも和助。

情の厚さと無鉄砲さ、そして潔さゆえに大砲に立ち向かって命を落とすも、土方がその勇敢な最期を語るのを聞いた隊士たちは、和助が土方さんに名前を覚えてもらったんだとぼろぼろに泣きながら大喜びしていて、死して名を遺すってこういうことなのかなあ…と。

土方に、戦死した和助のことを忘れないでくれと顔をぐしゃぐしゃにして訴えかけていた貞吉の顔が忘れられない。

これは観劇後に知ったんだけど、松本くんは役者としてはデビューしたばかりなんだね。だからといって見劣りすることもなく、威勢のいい熱さとキラキラした目で彼らの輝きをいっそう明るくしてくれていたよう。和助の威勢の良さは白虎隊の勇気だった。そして全力で和助を生きていた。これからが楽しみだなあ!

庄田保鉄

無口で怖がり。頼母様に殴られ率筆頭。

ときどき顔色を変えて刀を振るう姿にぞくっとした。普段は腰抜けなのに、覚悟を決めて刀を握った保鉄は勇敢で豪快。彼の中には、今もキャプテンマーベラスの血が流れているような気がした。

保鉄にも、これでもかってほど泣かされた。おざりょは人の心を揺さぶる芝居をするなあ。

泣きじゃくる保鉄の肩を貞吉ががっしり掴んでみんなで囲む場面、そして貞吉の「それだぞ保鉄!」が、今作ベストシーン三本指に入るくらい好き。

別れ際に貞吉にぶん殴られた後、「ありがとう」と告げて去っていった意味に気づいたときに、またも涙を流してしまった。

酔っ払った勝太郎のことを控えめにつんつん突っついて心配してる保鉄がかわいくてかわいくて。

井深茂太郎

隊士随一の秀才。利発という言葉がよく似合う。
悌次郎とふたりで、器の広さで白虎隊を包み込むような人。

年末カウントダウンに出られなかった16歳の「さんちゃん」が、いつの間にか立派な若武者を演じる立派な役者に成長していてるひま担は胸熱でした。
私はそんなにお芝居に詳しいわけじゃないからうまく言えないんだけど、白又くんは自分の間合いでお芝居ができる人だなあ、と直感的に思った。理知的な役どころなのもあるんだけど、絶妙に心地いい間合いを取る人だなあって。

白虎隊の参謀長は茂太郎にしよう、とみんなで話していた、と貞吉が語っていたとおり、勝太郎は最期も茂太郎に「策」を訊くんだよね。

ここまで全員の最期(後)に意図して触れてきたんだけど、隊士ひとりひとりの別れ際ないし最期の台詞がどれもその人の「一番誇れるもの、大切にするもの」を描いているようで(私見です)、彼らが託された命を全力で生きていたからこそ、そのひとつひとつが忘れられません。

飯沼貞吉

白虎隊「唯一の」生き残り。*2生真面目でへっぽこ。和助には「おまえは落ちこぼれの星だ」って言われてたな。

語り部としてひとりひとりのことを丁寧に語る一方で、当時も作中の「今」も、自らのことを一切語ろうとしない貞吉。実際、特段何かが優れていたりものすごくキャラが立っていたりするわけじゃない。

なのにいつの間にか輪の中心にいたり、隊士たちから強い信頼を得ていたり。

貞吉と悌次郎は、性格も隊の中での立ち位置も全く違うのに、お互い親友同士で、お互い違う形で隊士たちの支柱になっていて。その違いと共通点はなんなんだろうなーとずっと考えてたんだけど、二度目に観たときにはっと気づいた。

悌次郎が白虎隊の太陽なら、貞吉は月。かな。太陽と月なんて月並みな形容かもしれないけど、これが一番しっくりくる。

貞吉と悌次郎だけに限らず、白虎隊の8人は、誰かが誰かに欠けているものを補い、誰かの秀でているものを大切にし合うような関係でもあったのかな。少なくとも私にはそう見えた。同じ野心家でも己に対する野心を燃やす勝太郎と、「隊」を率いる野心を持つ新太郎。引っ込み思案な保鉄と、それを見守る儀三郎。勢い盛んで無鉄砲な和助と、利発で穏やかな茂太郎、みたいに。勝太郎と貞吉の試合でも、勝った貞吉に真っ先に駆け寄ったのが悌次郎、負けた勝太郎のもとへ飛んで行ったのが新太郎。

そのどこにも妬みや悪意がなさそうなのがまた眩しかった。総じて眩しい。




実は観劇前に会津へ行ったのですが*3*4、一般的に知られている白虎隊のエピソードと、会津の方々が大切に語り継ぐ白虎隊の歴史は少し違って、かといってどちらが絶対正しいとは言えなくて、その一部始終を唯一すべて知ったうえで語る貞吉の役割の重さを素人ながらもひしひしと感じました。

で、幕が上がってすぐに、彼の演じる貞吉は「今」と当時でまったく違う顔をしていて(当然だが!)、舞台上で一人二役演じてるようなものだと気づいて震えて。さらに終盤は語り手が斎藤さんに代わるようなものだから、「在りし日の貞吉」「斎藤に語る貞吉」「斎藤に語られる貞吉」の三役ともいえるわけで。会津で私が感じた以上に、めちゃくちゃ複雑で難しい役だった。

屈託なく笑ったかと思えば次に振り返ったときはすごく悲しげな顔をしていて、まぶしい少年たちの輪から自分だけを切り取ったような、悲しい悲しい顔をしていることがあって、観ている方も胸がぎゅっとなった。

序盤、戊辰戦争から14年が経ったのちに貞吉を訪れた斎藤さんとのやりとりの中で「(故郷には)帰っていないもので」ってさらりと話すんだけど、そのさりげない一言がズドンときてしまった。

それから、「白き虎はあいつらです」という一言が忘れられない。自分「は」、どうなんだろう、それも語らなかったけど、けど…

でも、終盤その悲しい重荷を降ろそうとしてくれたのが斎藤さん。斎藤の語りを聞いたあとの貞吉は、ぐしゃぐしゃに泣いて少年の頃に戻ったようだった。あの時止まった時計を動かして、そして「母親を大事にしてやれ」の一言で、生き残ったことに前向きな意味を与えてくれたのが斎藤さん。私にはそう見えた。

始めは追うのにいっぱいいっぱいで気づかなかったんだけど、序盤の貞吉はほぼ斎藤さんとの二人芝居、会話劇のようなものなんだよね。

アドリブとかそういう意味じゃなく、台本どおりだけど、毎回同じ芝居なんて絶対になくて、その一瞬一瞬のキャッチボールで動いてるみたいで*5、20日に入ったお席はわりと近い距離からそれを観ていただけにこっちもすごく緊張した。ああこれ一度でもどちらかが相手の間合いを読み違えたら破綻するなって、すごく怖い芝居してるんだなって。*6

貞吉は淀みなく過去のことを語っていくんだけど、思えばそれをどーんと支えていたのがツネ様だったのかなあ、なんて。

普段は安西くんがダントツう><のモンペっぷり全開でいるけど、今回ばかりは、ツネ様には敵わないな、安西くんまだまだだ、まだまだ上手くなれるいけいけどんどん!ってむしろ嬉しいくらいの気持ちになった。これもまたモンペっぽいな。



物語に心を揺さぶられたことはこれまで散々書いてきたけど、もののふはお芝居を観ることの楽しさにも溢れてた。筋書きどおりなのに同じものは二度とない二人芝居、舞台上で変わる二つの顔、技の付け方に妥協のない殺陣、役者たちの熱量。

よくアドリブやアクシデントに対して「舞台は生きてるもんね」って言うのにずっと合点がいかなかったんだけど、もののふを観ていると、「舞台は生きてる」の本当の意味を、演じ手が知っているうちのほんの少しだけでも感じ取れた気がします。



衣装も素敵だったなー。二幕冒頭で並んで現れた彼らの衣装が、稽古着の袴姿から白一色に揃うところにまたはっとした。「始まった」んだなって。

アンサンブルの衣装を暗い赤にしてある分、白虎の白い詰襟がより真っ白く映えて、散りゆく会津の戦況においては眩しすぎるくらいの白だった。彼らの青春が放った最後の輝きのようだった。そのくらい、あの白が忘れられない。

かなえちゃんのお着物がどう考えても家禄召し上げで親の薬代もままならないご家庭のお嬢さんが着るものではなかったのには笑ったがそこはまあいい。


開幕前にも「彼らの青春を観てほしい」という趣旨のコメントをいろんな方が発信していたのはもちろん読んでいたけど、それでも私は心のどこかで「悲劇」を観に行くような心構えがあったみたいです。飯盛山の場面まできて、赤く染まった空を見てその意図に気づいたときに、正直これは、この先の物語を私はどう受け止めようか、と困惑してしまって。

だけどその困惑は、それまでの彼らの眩しい笑顔を振り返って、そして目の前のひとりひとりの最期を見届けてからはどんどん晴れていきました。もうこのへんは勝手な解釈てんこ盛りで観てるけど、あれは隊士ひとりひとりがそれぞれの人生を送ってきて、そのうえでそれぞれの目に映った光景だった、の、かなあ。なんて。

彼らの最後の台詞がそれぞれの「大切なもの」のように思えたのと同様、ひとりひとりが託された命を生きたことの証のような最期だった。だから私は、この作品では、あれでよかったんだと思う。たらればになってしまうけど、あれで全員が並んで腹を切ってたら、せっかく個々の人生を丁寧に丁寧に描いてきたのに最後の最後だけ「白虎隊」としての最期になってしまっていたかもしてない。


もちろん、会津の人が観たら、そこで抱く気持ちは少し変わってくると思う。会津の人でなくとも、「それはちょっと違うよね?」ってツッコミ入れたくなる場面もあると思う。

観劇された貞吉のお孫さんは、会津と白虎の血を引く人は、何を感じたのかなあ。

だけどこの作品の中心にあるのは「少年たち」で、そのテーマが最後の最後まで貫かれてるのが良かったなって。なんだってそうだけど、多少の矛盾があっても伝えるべき価値が一貫して揺るぎないと、観終わった後の満足感が違うなって。



だからといって、会津へ足を運んだり白虎隊のことを学んだりしたことは、全然無駄にならなかった。

飯盛山の自刃の地で街を見下ろしていたとき、ガイドのおじさんが語ってくれたこと。

一面に見渡せる会津若松の街を眺めながら*7、彼らは城が燃えてるって勘違いしたくらいで簡単に自刃したわけじゃない、彼らは良家の優秀な子息ばかりで*8歳は幼いけど当時はもう大人、いろんなものを背負った立派な武士であった彼らは、なす術もなく燃えてゆく会津の街を見て、そして、自分たちの働きとこのまま自分たちに起こるであろうことを考えて、武士としてけじめをつけるために自刃したんだ、ということを何度も何度も語ってくれました。

それが真実とは断定できないにしろ、白虎隊はただ哀れに死んだ子どもの悲劇じゃない。かわいそうだと涙を流すために、彼らは飯盛山に眠っているんじゃない。彼らがあの時を生きていたこと、そこで背負っていたもの、死ななければならなかった理由、そしてそれがもたらした今のこの世界、ガイドさんの話を聞きながら、そんなことを考えていました。

飯盛山もこの作品も、彼らの「生きた証」を残すためにある、と、会津そして天王洲でそれぞれの白虎隊を見て思った。だから、会津へ行くことも、白虎隊を知ることも、この作品を観ること演じることに、大きな奥行きをくれる大事な経験だった。会津に導いてくれた安西くんに感謝の気持ちでいっぱい。





観劇を終えた今、改めて「この物語は悲劇じゃなく青春の物語だった」とはっきりと言えます。否、言いたい。

このへんはキャストのみなさんや西田さんの語る言葉の方がよっぽど響くから私はもう何も言わない。既にだいぶ言い過ぎた感あるけど。

少年たちひとりひとりの大切にしているもの、それと輝く笑顔が、それまでキャストの半分くらいしか知らなかった私にここまで書かせるくらいの(笑)全員への愛をくれました。8人の白き虎たちがほんとうに大好き。


Kステで幕を開けた怒涛の夏の終わりに、こんなにも熱い熱い舞台に出会えて幸せだなあ。

最高の夏を、最高のステージを、ありがとうございました。この夏のことはずっとずっと忘れません。



最後に、わたしの熱い熱い夏の記録がDVDになったのでご紹介します。



もののふ白き虎、本日2月10日にDVD発売です。

*1:大河の副長もなかなかのかっちゃん担だったしね!

*2:史実では自刃したのは二番隊だけだから厳密には違うんだけど、作中ではあくまで「唯一」の存在

*3:役作りならぬ客作り、というのは半ば冗談半ば本気で、前々からいつか行こうと思っていたのを安西ブログが背中を押してくれた

*4:例のTシャツも買いました

*5:もちろん、もちろん他のどんなシーンだってそうなんだけど、ここは特にそれを感じた

*6:ほんとーーーに上手い役者さんはそれを観客に感じさせないようにできるんだろうけど

*7:この眺めはあの場にいないとわからない、是非見てほしい

*8:石田家の子孫は大阪市長、茂太郎の親族はソニー創業者、池上家の子孫は秋篠宮に嫁いだ紀子様、だったかな。おじさんに屋敷図もらったんだけど、飯沼家の石高もなかなかのものだったよ。