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その1秒に震えたい

誰がゴッホの耳を切ったのか

今年2月に上演された僕のリヴァ・る、このたび半年遅れでマイ初日を迎えました。

諸事情あって観劇が叶わなかった作品、直接拍手を贈ることのできなかった安西くんの大舞台。
DVDがようやく手元に渡り、満を持して迎えた初日かつ千秋楽に見えたものは、皮肉にも、あの頃新国立にいたら見えていなかったはずの景色でした。


不思議な巡り合わせで辿り着いた、私とゴッホと「炎の人」の話をば。


先に言っちゃうんですけど本文の9割9分はヲタク大好き自己満自分語り系はてブなので今のうちに宣言しておきます。





2月、遠い空の向こうの英国から公演の動向を見守っていた私は、自分で選んだこととはいえこれだけの作品に拍手を贈ることのできない自分自身を恨めしく思っていました。

誰かに向かって行けない理由を並べ立てたいわけでも、自ら招いた己の不運を不合理なままに嘆きたいわけでもなかったけれど、まあそうは言ってもヲタクですので、ヲタクなんてみーんな自分が一番大事な生き物ですので、言葉を選ばずにいえばメッチャ悔しかったんですね。認めます。


時としてちょうどたまたまロンドンに用事があった2月末、少しだけ観光する時間があったので、せっかくならまだ行ったことのないとこを開拓しようかなあと行先を調べていた時に見つけたのが、ロンドンはトラファルガー広場にあるナショナルギャラリー。要するに国立美術館ですね。

絵なんぞ微塵も興味のない、あの丸一日かかっても回りきれないといわれる大英博物館に30分で飽きた私になぞ到底楽しめる場所ではなかろうと思ったのですが、なんとここに絵なんぞ微塵も興味のない私でも知っているゴッホの向日葵があると聞き、正直リヴァる観に行けなくてメッチャ悔しかった私は「ならモノホン観に行ってやるわい!!!」というどこから沸いたのかわからない対抗心を燃やして足を踏み入れたわけです。


(作品をご存じでないユーたちに説明すると、リヴァるは兄弟をテーマにしたオムニバス劇で、作中にフィンセント・ヴァン・ゴッホと弟テオの兄弟の物語が登場します)



ナショナルギャラリーのコレクションの歴史は中世13世紀頃までさかのぼり、時代順に大きく4つのエリアに分かれた展示を行っています。

この展示方法がとてもよかった。時系列で絵を追うにつれて、被写体が、描き手が、明らかに移り変わっていく様を実際の作品を前に感じることができます。

中世から近世、さらにゴッホらが活躍した近代へと足を進めるうちに、そこに「誰が、なぜ描くのか」という大きな問いが見えてきた気がしました。

絵画といえば宗教画だった中世、資材も技術も未発達だった頃、これだけの労力とお金を投じて描くべきは世界の真理の軸である宗教だったんでしょうね。次第に描き手は宮廷の雇われ画家へと移り変わり、近代になると一気に風景画の数が増えます。そこで私の心にいちばん響いたのが、印象派ゴッホゴーギャンをはじめとした19世紀末の画家たちでした。

産業革命で労働者階級が誕生し、画家業が血で引き継ぐものではなくなった近代。この時代に、食べていく手段の一つとして絵描きを選んだ人たち。信仰や雇い主のためではなく、自分自身の思う絵を描き、人々が各々の尺度でその絵を評価し買った時代。近代の自由意志の現れを象徴するようなこの変化に、社会学専攻の私は強く惹かれたのでした。


その「なぜ描くのか」をもっとも問いたかった人物がゴッホ

遅咲きの画家、耳切り事件、ピストル自殺。都市伝説じみた半生が語り継がれるこの画家が、なぜ絵を描いたのか。気づけばそのことに夢中になっていました。




5月の週末。英国在住の私は、オランダはアムステルダムに向かいました。

目的はふたつ。春季限定のチューリップ畑を見に行くことと、ヴァン・ゴッホ美術館に行くこと。

本当にただの週末だったので日帰りの強行スケジュール。チューリップ畑を見終え、念願のヴァン・ゴッホ美術館へ。


この美術館、今になってはっきりと言えるのですが、解説がめちゃめちゃ丁寧。

ゴッホの作だけを集めた美術館なだけあって、展示と併せてゴッホの生涯が語られていきます。

展示も、特に晩年は一日何枚も描き上げたというほどの量なのに、一枚一枚に解説がついています。この後欧州各地の名だたる美術館をいろいろ巡りましたが、こんなに解説が丁寧な美術館を他に知りません。

「なぜ描くのか」に関心を抱いた私がそこで得たものは、まさしくゴッホが「なぜ描いたのか」という、いわば彼の人生そのものに対する問いと、絵に込められたであろう答えでした。

目の前で見た「花咲くアーモンドの木の枝」。ゴッホがテオに子どもが産まれたときに贈った絵。向日葵を見た日からずっとこの目で見たかった絵。目の前に佇む花々と、背景の圧倒的な青色は今でも鮮明に思い出せます。

絵画を楽しむDNAを持ち合わせていないと思って二十と幾年を生きてきた私が、ひとりの画家(とチューリップ)のために国境を越え、一枚一枚の絵を食い入るように見つめている。「リヴァる観に行けなくてメッチャ悔しい!!!!」から始まって、気づけば趣味がひとつ増えていました。



7月。いろいろあって訪れていたプラハの街で、ひとりのおばさまに出会いました。

話を進めていくうちに、彼女も絵をよく観られるとのこと。最近美術館行くようになって、印象派ゴッホなんかが好きなんです、と話すと、私もゴッホは好きよ、あのね、すごく好きな作品があるの、と。

おばさま「向日葵なんかよりもね、あれが好きなの。花咲くアーモンドの木の枝っていうね」
わし「まじっっっっっttすか!?!?私もです」
おばさま「ええっ!」

おばさま「私ねえ、ゴッホの青が好きなのよ」
わし「まcっっっっっっ私もです」
おばさま「えええっ!!」

お互い「こんなにドンピシャに被るなんて」と驚いていました。

そして加熱するゴッホトーク。知り合ってわずか数時間のことです。

ゴッホは病んでたっていうけどねえ、その最中にあんなに明るい絵を描いてるのよ、わかります、だから私もアーモンドが好きなんです、耳を切ったのはね、ゴーギャンにいじめられたからなんじゃないかって思ってるのよ、あー、あると思います、ゴーギャンも悪い人じゃなかったでしょうにね、我が強いから、そう、ゴッホもきっとすごく穏やかな人だったのよね、ピストル事件もね、私、実はあれはテオがやったんじゃないかと思ってるの、テオがパリに戻る時間稼ぎをしてね、

と、こんな話を夜更けまで続けていたプラハの夜。連絡先も交換せずにそれじゃあまたどこかで、と別れてしまったのですが、あのおばさまはお元気でしょうか。


おばさまから教えていただいた欧州各地のおすすめ美術館を回るうちに、気づけば美術館巡りが自分のルーティンになっていました。ぶっちゃけよくわからないピカソのコレクション(物価の安い東欧にしてはそこそこお高い入場料だった)を「ええい投資だ」と観に行くようになったり。


そして9月、ようやく、私をゴッホに引き合わせた作品が手元に届きました。


先に言っちゃうと、いちばん泣いたの第一演目の「はじめてのおとうと」。これはこれで言いたいことがたくさんあるけれど、それはひとまず置いといて。

三好十郎の戯曲「炎の人」をベースにした「ゴッホとテオ」。ゴッホとテオ、ゴーギャン、彼らを取り巻く人々の会話とともに、フィンセントの半生が描かれていきます。

ひとりひとりの台詞を聞いて、この半年ですっかり新米ゴッホ担を名乗るようになっていた私の脳裏に浮かんだのは、アムステルダムで見た一枚一枚の絵でした。

テオが暗い絵と言って転向を薦めたことに責任を感じた*1「ジャガイモを食う人々」、印象派の影響を受け明るくなった色彩、あまりにも素直に取り入れすぎたピサロやマネの点描、ゴーギャンとの同居生活で生まれた作品、己の心にあるものを描けと迫ったゴーギャンとの口論、逆に向日葵を描くゴッホを描いたゴーギャンの絵、美術館のワンフロアをまるまる使わないと収まらない晩年の膨大な作品群、入退院を繰り返しながら病院の庭で描いた風景。

あとで戯曲を読んでみたら、各々の台詞は特定の作品に宛てて書かれたものだったようで。なるほど絵が思い浮かぶわけだ。


詩人とも評されたゴッホがテオに送った手紙の一部が、アムステルダムのヴァン・ゴッホ美術館で展示されています。

絵の構想や理論、詩や家族を気遣う言葉をびっしりと書き連ねた手紙の山々。

その手紙を受け取り続けたテオは、兄の死後半年で急死します。

残された妻と産まれたばかりの子は、テオが生涯預かってきた兄の絵を売って生計を立て、テオの子がその後財団を立ち上げ、このヴァン・ゴッホ美術館を設立するに至ったそう。兄に疲弊し、兄を見捨てられず、兄を愛し続け、兄の後を追うように去っていった夫に、父に遺された家族が、ゴッホの絵を世に送り出し、ゴッホの絵で食べていったという、運命のような皮肉のような後日談です。

美術館で見た、寄り添うように並ぶフィンセントとテオの墓石の写真が忘れられません。


目の前で天才が飢えて死んでも知らん顔をしているくせに、ズーッと後になるとヤイヤイもてはやす。世間と言うものは、そういう馬鹿でさ。*2

兄さんの絵は暗すぎる、もっと明るくならなければならない、今パリの印象派のすぐれた画家たちがどんなに明るい絵を描いているか兄さんは早く知らなくてはならない、と言ってやったのは私なんですからね。私には責任があるんです。*3

ホンモノとニセモノが有るきりで、理窟はいらん。こいつは下手クソだがホンモノだよ。*4

あなたの頭は時々狂ったが あなたの絵は最後まで狂わない*5

ゴッホを取り巻く人々の言葉が、ひとつひとつ、記憶の奥底に一枚の絵と結びつくような心地でした。


ゴッホの絵はゴッホの人生であり、ゴッホを取り巻く人間がゴッホに絵を描かせ、ゴッホの人生を狂わせ、導いた。


「炎の人」では恋人に捧げんとナイフを突き立てたと描かれる、その耳を切ったのは、いったい誰だったのでしょう。




公演当初から、オムニバスのうちどの作品のどこが響くかは観る人によって変わるといわれていた作品。マイ初日を迎えて、その意味がようやくわかりました。

もし私が新国立の小劇場でこの物語を観ていたら、きっと感動していたここと思います。感動するだけだったと思います。

大脳の奥底に眠る記憶の片隅を針でつつかれるような、一本の糸で釣り上げられるような思いをしただろうか、あの冬願いのとおりに劇場で芝居を観たとして、その自分の中につつくべき、釣り上げるべき記憶の欠片はあっただろうか。


もちろん観に行きたかった。これだけの脚本これだけの役者に囲まれて舞台に立つ安西くんに、劇場の座席から拍手を贈りたかった。その気持ちは変わりません。

ただ、あの時公演に行けなかったばっかりに、そこから変な対抗心を燃やし、趣味が増え、人と出会い、見る景色が変わった結果、あの時には見えなかったものが見えたこともまた、今の自分がこの作品を受け止めるうえで取り除くことのできない要素です。



結局ヲタクは自分が一番で自分語りが一番気持ちいい生き物なので普段からやや小馬鹿にしてる自分語り系自分の経験に結び付けちゃう系はてブを書いてしまったんですが、ここまでつらつら書き連ねて結局何が言いたかったって、


僕のリヴァ・るは、兄弟という普遍的なテーマながら、それ故に、長い間触れられず人の大脳に眠っていた記憶や経験の欠片を個々に刺激する力を持っているなあ、ということ、そして、個々の記憶に依存するからこそ、観た人によって感じるものがまるで違う、同じものを観ていても泣き所が違う、普遍的でありながらも誰一人として同じメッセージを受け取らない、不思議な空間だったんだなあということでした。


スズカツさん、すごい。この人の職業がカルトの教祖や悪徳詐欺師じゃなくてよかった。記憶をえぐり取られるような苦しくて心地のいい経験が、やみつきになりそうです。



ちなみに、「はじめてのおとうと」で自覚する前に訳もわからずボロボロ泣いてしまったのも、弟をもつ姉*6としての、自分も覚えていない記憶の何かに芝居の何かが触れたからなんだろうなあ、ということにしています。

*1:劇中では明言してないけど原作を読むとちゃんと明示されてる

*2:三好十郎『炎の人―ゴッホ小伝―』青空文庫、2009年

*3:同上

*4:同上

*5:同上

*6:無駄に物分かりがよかったから寂しい思いをした覚えはないしむしろ弟を虐げていたんですがね