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その1秒に震えたい

最高の選択、幸福な職場

大盛況のうちに幕を閉じた舞台「幸福な職場」の千秋楽に行ってまいりました。
1年ぶりの現場、1年ぶりの安西くん、敬愛する役者ふたりの共演。この日を迎えるまで心を落ち着かせることのできなかった理由はそれだけではなかったのですが、とにかく発表から半年ずっとずっと心待ちにしてきた作品、最悪成田からの直行も厭わないギリギリで生きすぎてるスケジュールをくぐり抜けなんとか今日を迎えることができました。





養護学校の生徒の受け入れを決めた大森専務は、この決断を最高の選択にすると言い切りました。

さて、彼の目指す最高の選択とはいったい。



通産省時代の大森青年の長回しから始まるこの作品、幕が明けて朗々と語り出した安西くんは、まごうことなき座長の顔をしていました。

少しの間目を離していた隙に一番変わっていたことは、彼が板の上に下ろす根の深さ。
客観的な視点で使っていい形容かどうかはさておき、肝が据わったな、という印象。

今までは脚本と役の莫大なエネルギーに振り落とされまいと必死に食らいつくための、等価の反作用的なエネルギーが彼のお芝居を形作っていたような感じがして、その刺すような緊張感もまたたまらなく興奮するものではあったのだけれど。今作で大森専務を演じた彼には、自らの中に宿した大森の一歩先を行って時々振り返るような、そんな余裕(のように見えるもの)があった気がします。*1

まああまりに強烈だった最近の役柄との温度差によるところも大きいんだけど。10人殺してきた顔だのサイコパスだのとお茶の間を騒がせているようですが最近じゃサイコも随分板についてきたようです。

たとえば、もののふの斎藤との二人芝居で毎回抱いていた異様なまでの緊張感が今回はなくて、それはもちろん演目と役柄の毛色の違いによるものでもあるんだけど、この1年の間に培った肝の据わった立ち居振る舞いは、十分に舞台と客席を支配できるだけの力たり得るのではないでしょうか。

舞台の上に立つ彼が、劇場全体を支配する彼がとても頼もしくて、彼が座長たる器をもって板の上に深く深く根を下ろしていることがわたしは何よりも嬉しいのでした。座長の似合う役者になったことで、この人の座長公演をもっと観てみたいと感じた気持ちの意味は、初座長公演だった戦国無双で抱いた同じ文字列の感情とはまったく違うはずです。


それからもう一つ嬉しかったのが、松田凌くんとの関係。

私は凌くんという役者がとても好きで、彼が芝居を生業とすることの意義を安西くんとはまた別の形で敬愛してきました。
これは私の勝手なイメージですが、凌くんが背負う役者なら安西くんは登る役者。大きな役割を担って負荷をかけ続けることで強くなる凌くんと、険しい坂を一心に黙々と登り続けた先に綺麗な景色を見る安西くん。異なるアプローチのふたりが同じ作品で同じ方向を向く瞬間をこの目で二度も三度も目の当たりにできるなんて願ってもない幸せをありがとう。

Kステや男水はふたりのそれぞれの役割が如実に表れていたように見えたのだけれど、今回はそれぞれが反対の役割を担っているともいえます。座組を背負った安西くんはとても頼もしかったし、座長に座組を預けて原田を豊かに演じる凌くんはとても生き生きしていました。お互いに普段の自分の立場を預けた、いわば「逆」の役回りが、かえって彼らのお芝居をいっそう豊かにしているように思えました。お互いに相当の実力があってこその舞台上の信頼関係でありライバル関係であり、名前はどうであれこのふたりの役者が並ぶとお互いが引き立つ、そんな稀有なパートナーシップを見たように思います。



作品に話を戻すと、ひとつ私の勝手な想像として、チョーク工場で働くそれぞれの立場からふと零れる言葉の端々に、この物語の投げかける「最高の選択」への問いが隠れているとします。

経営者として、その方が合理的、国づくりをやりたくて、法の下の平等、給料は出せませんよ、その給料は誰が払うんだ、普通に働ける人、働かせてください、
経営者と被雇用者、雇用未満の実習生、それから法律、それぞれの立場を代表する言葉から察するに、ここには普遍的な「最高の選択」なんてものは存在し得ないのではないでしょうか。

「最高」というきわめて強い言葉を敢えて選んだこの脚本においても、作中の誰もあらかじめ存在する具体的な何かを指して「これが最高の選択だ」と明示はしていません。ただ、大森専務は「最高の選択に‘する’」という姿勢をとって、最後に「最高の選択だった」と振り返っています。自らの決断を「最高の選択」に「した」こと、そのことがこの会社の成功を表していると私は考えました。後出しで悪いけど9割は妄想です。

そしてこれも10割妄想なのですが、その「最高の選択」は、この演目の題「幸福な職場」に置き換えられるのではないでしょうか。仮にこの見立てを正しいとしたとき、「幸福な職場」なるものも、絶対普遍には存在し得ないことになります。はじめから万人が納得する「幸福な職場」などないかもしれない中で、そこにいる人々にとっての「幸福な職場」を作り上げたその過程に、この物語のエネルギーを感じました。


物語の終盤、50年後に会社を訪れた元社員の息子は、社会学部の大学教員を名乗っていました。

私は、社会学をやっています。専攻は働き方の学問です。

私が細かい言葉の端に必要以上にこだわったのは、「幸福な職場」がいったい何を指すのかは立場や権益、地域によってまるで違う以上、大森専務の言うところの「最高の選択」なんてものは到底実現し得ないことに諦めを抱いていたからでした。

政策にも研究にも進まないただの学部生が働き方を学んだところで得られる答えなんてないのに、人より少し多く時間をかけて勉強して、自分はこれからどうアウトプットに移っていけばいいのかが見えないままだったこのところの不明瞭な見通しを晴らしたのが、自ら幸福な職場を作ろうとした彼らの過程でした。

普通に働いて給料をもらって生活する、そんなあたりまえからなぜかあぶれる人がいる、何が彼らをそうさせるのか、私が学生としての軸を定めたはじめのきっかけだったそんな問いは、決して無駄なものではなくて、この世にきっとその問いを必要としている人がいる、普遍的な答えこそ見つからなくても、私がそのことを問い続ける意義があるのかもしれないと思ったとき、私の選んだものは間違ってなかったんだ、とようやく胸を張れる気がしました。

学生としての残りの時間(それから就 活)、自分で決めたことが霞みそうになったとき、この物語を思い出して前を向ける気がします。大げさな自覚はあるけど、この物語を観たことは、間違いなく私の人生の財産になることでしょう。


何か具体的なことを期待したことはないのに、いつだって見たかったものを見せてくれる、新しい景色を教えてくれる、そんな安西くんのファンはなんて幸せ者なんだろうな~~~~!!!って自分か~~~!!!!!

またひとつ、安西くんから大切な物語をもらいました。大事に己の糧にして、明日からもモリモリ働きます。

あらためて、千秋楽おめでとうございます。この作品と出会えたことを、心から誇りに思います。

*1:実年齢より年上であることを意識したいと話していたのでそういうアプローチの結果なのかもしれないけど