なぜ歌うのか?
遠い夏のゴッホ、初日公演を観劇してきました。
久しぶりの初日です。誰も知らないものをいちばんに見届けるこの日の緊張感が好きです。
銀劇着いて真っ先に目に飛び込んできた、お花の最上手を陣取る座長宛のひまわりのスタンド花 byる・ひまわりにめちゃくちゃ笑いました。疑ってたわけじゃないけどる・ひまわりのひまわりってそのひまわりなんだ…そう…ひまわりだからひまわり……みたいに異様にツボに入ったの私だけ?w
関係企業ではあるけども「るひまがひまわりのスタンド花出した」って聞こえが面白すぎてダメ。ところでそれは年末よろしくの意で合ってますか?
以下ネタバレときもちわるめのキャスト賞賛レビュー。
この物語で感じることって、もう座長が答えをくれてたんですよね。
「僕はずっとセミって『小さい』イメージしかなかったんですけど。短い命の中で恋のために必死に生きるゴッホを見ていたら『でっかいなあ…』と思ったんです」
これはゴッホに限らず、理由もわからず必死に生きる森の虫たちの、小さいのにとてつもなく大きい1年を紡いだ物語です。
演目を知ってから薄々気づいてはいたし日に日に座長に首ったけになっていくシャトナーさんを見てたら否が応でもわかってたけど、
今日は長いこと起きて仕事をしてしまった。一旦、眠る。安西くんに僕はすべてを賭ける。
— 西田シャトナー伯【ストラッシュ】 (@Nshatner) 2017年6月16日
こりゃ安西くんをキャスティングする気持ちもわかるし私がシャトナーなら世界を敵に回しても安西くんに宛てて上演するわこんなん。
舞台上であれだけ弱さをさらけ出せる肝の据わった役者なんて他にそうそういないと思っているし、あの稀有な生き物くささをゴッホの魂の器に選びたくなる気持ちは私はシャトナーじゃないけどわかる。
その安西くんの生きるエネルギーに、見事に食らいついていったのが相手役の山下聖菜ちゃん。
短い芸歴で異様に輝かしいキャリアを歩んできたことからも、ブログの言葉からもなんとなく感じ取ってはいたけれども、人並み外れた熱量を持った人、それをさらけ出せる強さを持った人だと思った。
脚本と役のエネルギーに振り落とされまいと必死に食らいついていく感じが、何年か前の安西くんに少し重なった気がします。
あと相手役の女の子がいるという作品は珍しいのですがこの座長、
安西 僕、まだ舞台上で恋をしたことがなくて。
木ノ本 うわっ、そうなの? あー、ちょっとこの話題であと2時間くらい話しましょうよ(笑)。
安西 (笑)。なので、早く舞台上で「恋したい」ですね。
木ノ本 さて。恋人の名前を呼ぶとき、きみはどんな顔をするんだろうねぇ。
安西 うん……だからね……その……ラブストーリーって、自分が普段どんな恋愛をするのかっていうのがね、お客様にバレるんじゃないかっていうのがちょっと恥ずかしいというか、若干怖くて(笑)。
木ノ本 たぶんバレる(笑)。
安西 いや、ちゃんとピュアだよ、ピュアなんだよ……ホントに僕、真っすぐでピュアってことで有名なんだけどさ。
ミネくん結婚して!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(そこではなく)
火のないところで火事が起きるような業界に身を置きながら「舞台上で」恋したことないんですってなんの危なげもなく話しちゃう座長のファン、めちゃくちゃ楽しいです。本人が余計な情報を吹き込んだせいでこっちまで無駄にドキドキさせられつつ無事に舞台上の初恋を見届けてきました。舞台上の初恋っていいですね。究極のヴァージニティーがそこにある気がします。
ゴッホとベアトリーチェの銀河一かわいいカーテンコール早く見てください世界。
ミネくんのウィットがカンスト起こしてる対談こちらです。読んで。
そう、ホセ役のミネくんはもうわかりきっていたけれどもあまりに奇才。トリッキーな役割がなんて似合うんだろう。感情にさざ波を立てない、圧倒的な静の内面をもって動をいかようにも表現できることが彼の才だと思っています。安西くんとミネくんとの二人芝居まだですか。(ブラック企業的制作会社御中)
東映ヲタであり筋金入りの鍋クラだったまきさんにとってあまりに層が厚すぎるカンパニーだったわけですが、その中でもとりわけ心奪われたのが匠馬!!!!匠!!!馬!!!!!!!
あんなに泣かせる芝居をする人だなんて知らなかった。誰も教えてくれなかった。人の心を揺さぶれる役者だった。「なぜ歌えるおまえが歌わないのか」「なぜ礼を言いに来たくなるのか」を問うアムンゼンは、この物語の核を問い続ける役割を担っていたように思えました。
それと兼崎兄さん。超カッコよかった。森中の悲しみを背負ってきたイルクーツクの背中が、舞台を冬へと向かわせる動力になっていました。
兼崎イルクーツクの悲しみのうちの一つ、アンドレイはシオン。(フォーゼ以来ネガティブな噂ばかり目だっていたけども)彼はやっぱりいい芝居をするなあ、板の上でもっともっと彩を深めていってほしいなあと思う役者のひとり。
みかしゅんと陣内が同じ画面に収まる味の濃さに観劇前からビビッていたわけだけど、この二人もぐっと深みが増した。ちょっと嫌味なんだけど聡明さが隠し切れない絶妙な風合いを作り出した陣内ゼノンは適役中の適役。
あと宮下雄也はやはり強い。強かった。知ってたけど*1。本どおりなのはわかってるんだけどちょっとこれ以上大丈夫??ここでこれやる??戻ってこれる???という危ない線を自力で回収しきるあたりあの人やっぱ強いわ。
カマキリのセルバンテスとハチのジンパチもハマってた。文化というフィルターのかからない虫の世界だからこそ、ああいうベタなくらいの雄らしさがかえってリアル。まあジンパチ雄じゃないんですけど。
ところでどなたか星元ゆづゆづの性別教えてくれませんか??
人間が見た虫の世界というのは、シンプルすぎるくらいシンプル。なんで生きるのかも、なんで食われるのかもわかってない。自分の寿命を死に際に悟る。その未来に抗わない。だからこそ、虫は、生きることに必死です。
「鳴けるのに鳴かない」ゴッホの行動は、命の無駄遣いです。アムンゼンが悔しくてたまらなかったのも道理です(ここいちばん泣いた)。純愛って、たぶんすっごく不合理。
それでも、森の虫たちはゴッホを生かした。ベアトリーチェのために歌うゴッホを見届けた。「生きてる」ってエネルギーに、無意識のうちに惹かれたのかもしれないなあ、と勝手に考えています。
誰かが誰かを生かす、その因果がはっきり見える森の虫の世界。奇跡みたいなゴッホの冬越えだって、他の誰かに生かされた結果です。因果のあやふやな人間の世界に置き換えたら、安っぽい奇跡といわれそうな物語。
ただ、誰かの命が誰かを生かす、シンプルな森の虫の世界の道理において、その奇跡を誰が軽んじられるでしょうか。
きっとこの先秋が来て、冬が来て、季節の変わり目を感じる折に、わたしには見えない誰かが生きてることを思い出すのだと思います。
*1:ハンサム落語での抜群の安定感でおなじみ