Show must...

その1秒に震えたい

今年観たもの2017

今年っていうかもう昨年ですけども。


1月 幸福な職場

帰国5日後の千秋楽にギリギリ滑り込んだ今年の現場初め。出国の日程によっては成田から直行も覚悟だったのですが日頃の行いが良かったので無事に観劇と相成りました。

1年ぶりの安西くんは、この1年間に何があったのかってくらい肝が据わっていて驚いたなー。板の上にしっかりと根を下ろして、かつ青々とした葉を茂らせた彼がそこにいて、私はもう板の上の彼に対して憂うことはないのだと確信した日。
私が彼を好きになったばかりの頃は、(癖のある人物や心理描写の深い役柄をあてがわれるので余計に)ホンのエネルギーに振り落とされんと必死に食らいついているような気迫があって前方席で観ているとその緊張感に冷や汗かくこともありましたが(大きなお世話・ザ・ワールド)、大舞台での経験が着実に彼を強くしていることが客席からも見てとれたのでした。

分野は少し違えど、私が人よりちょっと長い学生生活を通じて探求してきた問いと同じものが舞台の上にあって、私がやってきたことは間違っていなかったんだと涙した作品でもあります。いち学生に取り扱えるものではないからと諦めかけていた問いに、もう一度向き合うように背中を押された気がしました。


2月 猿狸合戦

辻本祐樹は現場の恋人と言い続けて早数年、時代が辻本祐樹に追いついたのではなく辻本祐樹が辻本祐樹を切り拓いた記念すべき作品。あと赤澤ムックに抱かれる。

三つ子の魂百まで、三成の忠義は死ぬまでという神の御言葉が誕生なされたのもこの日であった…

勝手ながら辻本くんにはどうにか役者として花開いてほしいと願っていたので、化かしに化かしたあとのカーテンコールで見せた晴れやかな顔がうれしくてうれしくて…そんな辻本くんが明治座にのぼりを立てることを夢だったと話していておれはもう


3月 スーツの男たち

今年の一番は?と聞かれたら、だいぶすごく迷いつつもこれを挙げます。

現代のマフィアを近代的、文化的な社会の周縁体として描いたミリガンの鋭いユーモアにシビれました。マックスはマフィア”だけど”教養があって、三つ揃えがキマって、”だから”食われてしまう。子狐のマックスを食ったのは誰だったのか、マックスはどこに行っても食われてしまうのではないか、考えるだけでも楽しいのに、その世界を段差もない目と鼻の先で観ている興奮と可笑しさと。足元にじたんが頭から転がってきた経験あります?私はあります。

喜びの歌、幽霊とさんざん安西慎太郎を狂わせてきたCATの性癖を確信した瞬間でもあった。今回もたいへんお世話になりました。


3月 ジャニーズJr祭

1年半ぶりのわたなべくんに感極まる間もなくGravityに全部持ってかれましたんんんんんわたなべくんせかいいちイケメェエエン!!!!!
悲鳴に包まれる横アリ(およびガチで悲鳴を上げるなべ担)あの光景ちゃんとわたなべくんにも届いてるといいなああ

4月 滝沢歌舞伎

前年は観劇できる環境にいなかったので、健くんのいる歌舞伎は初めてでした。

鼠小僧、すごくよかった。何年か演舞や歌舞伎を観てきて、初めて「滝沢一座」をたしかに見た気がしました。
ごく個人的な感情として彼らを殿に育ててもらう義理をあまり感じていないのもあって、例年よくわからない課題をあてがわれるのがありがたくもあり少し迷惑でもあったので、今回はこの一座で面白いものを作る、ただし自分の仕事は自分の責任でこなすというシンプルな課題をそれぞれが平等に負っていたのがよかったなと。与えられたポストをこなすんじゃなく、みんなちゃんと芸をしてた。

今年は犬と聞いた時にわたなべくん的にどうなんだろこれ…また誰も拾わない中スベらされるのかな…とざわざわしていたのですが蓋を開けてみれば殿担マダムにも大ウケしていたので、やっぱり好きな人が褒められるのがいっちばん嬉しいしそれ以上に観たいものはないと確信したのでした。劇場に行くのがつらい、ごはんが喉を通らないという思いを抱えて板に立つよりも、彼が生き生きしながらいい評判を得られた方がずっといいに決まってます。だって大喜利よりナベ郎の方がずっと評判よかったもん!

EDで一礼するときに前足揃えるのめちゃくちゃ好きでした。かわいいね。ワォーン


5月 男水!

このプロジェクトが舞台で綺麗に終われてよかったし、舞台ではきちんと物語と役が生きてました。
無双以来の吉谷演出だったのですが、やっぱり役者がみんな上手いのできちんと独特の流れに乗れていて心地よく観ていられた。筋書き自体はダイナミクスが小さい分テンポよく進んだ方がいいと思うのであの演出は正解だったんじゃないかなあ。

普通の高校生が本気で頑張ることを知る、という、世のスポーツものに比べたら見栄えのしない作品、見栄えのしない主人公を務め上げたのが凌くんでよかった。天下一武道会ではなく都大会のプールで、超人ではなく冴えない普通の高校生がただただ本気になるというありふれた物語だからこそ、誰しもが心の中にくすぶらせた「青春」の種火に火をつけることができたのだと思います。

何より礼央が笑って約束を交わせたのに救われました。

ドラマの完成度やイベント展開をみて、マスに向けたプラットフォームでコアファン向けの商売をしてるちぐはぐさに不信を抱いた人も自分含め大勢いたとは思うのですが、やっぱり企画にはエビデンスが必要だし結果として1010を連日埋めるだけの動員を記録していたので(ドラマから興味を持って観劇したと思しき知人も数名いたし)、TVと舞台の連動企画はひとまずの成功を見たのではないかと。ただ(安西くんに対してはあまり感じなかったけど)実力のある役者たちだと知っているだけにドラマ版のお粗末な演出で印象を悪くしなければいいなあとも思っていました。あとこれだけ実力あるキャストだとファンが仕事を選べてしまうので、舞台で盛り返さなかったらもともといたファンの見込みを外しかねなかったかもなと。結局、地上波放送という決して安くない媒体となかなかスケジュールを抑えられない人気役者を獲得しただけのコストに見合うものを作れるかどうかがこの企画の価値を決めるのだと私は思っています。

それはさておき舞台ちょーーーー楽しくて、舞台以来すっかり龍峰のマネージャーにされてしまったのと身の回りで観劇した知人のほとんどが譽さんの女にされて帰ってきたので今では龍峰高校マネージャー会を開催できるほどになりました。


6月 ジャニーズ銀座SnowMan公演

夏のキントレがみんなで楽しむライブだったのに対し今年のクリエはショーケースっぽかったなと。
ファンをよほど信頼しているか、あるいは完全に無視しているかじゃないとなかなか組めない、見せるパフォーマンスが中心の攻めのセットリストだったように思えます。キャー言う隙を与えない構成だった分パフォーマンスで黙らせてくる気迫に圧倒されました。

私が入った回にハッシーが来ていて*1、ステージのフッカとバルコニーのハッシーが向かい合って少年のままを歌ってるのを見て泣きました。そして泣き崩れんばかりの前列のヲタクたちに優しく笑いかけて手を振る阿部ちゃんが仏のようでした。

あと本編ラストでRush of Lightのイントロが流れた瞬間あの頃のカツン担は揃って腰を抜かしました。すのーまんの見上げる空はこうあってほしいと思える歌。久しぶりにチケットの取れた単独公演だったのですが、セトリがちゃんと最近の曲にアップデートされつつも要所要所で同世代のヲタクを隠し切れないすのーまん、それが正解なのかわからないけど好きです

ちなみに最終面接を翌日に控えたボロボロのしゅ~かつ生はクリエで英気を養った甲斐あって翌日無事に就職先を決めたのでした。


7月 遠い夏のゴッホ

私がシャトナーなら世界を敵に回しても安西くんをゴッホに起用する。

ゴッホについては別エントリでいろいろ書いたのですが、最近届いたDVDを観てあらためて、誰かの命が誰かを生かす、シンプルな森の掟における奇跡は決して都合のいいハッピーエンドなどではないなと強く感じます。とっても生き物臭い座組だったからこそ、心揺さぶられる場面がたくさんありました。

道端でもがくセミを見つけて「がんばれ」と念じるようになったこと、季節の移り変わりとともに、見えない誰かが生きていることを感じるようになったこと、それがこの作品のもたらした最たるメッセージなのではないでしょうか。

あと銀劇カクテルデビューできたのも地味に嬉しかったな…セミのカクテルは柑橘の味がしました。


8月 亀梨和也 Follow Me

カズヤが40になっても還暦を迎えてもソロコンに呼んでほしい。

実は7年ぶりのカツン現場だったのですが1曲目から崩れ落ちたし*2序盤3曲ずっと泣いてました。みんな双眼鏡を握る手が震えて覗けない経験したことある?私はあるぞ。

かめちゃん31歳児だいたい自由すぎるし意外に客いじりが好きだったりするし、そんなカズヤのやりたいこと好きなことをすべて受け入れてハッピーになる空間せかいいちじたんに優しかった。

大宮公演の初日で夏の終わり聞かせてもらえたのはもう前世の徳のおかげとしか。


8月 四月は君の噓

原作1ページ目で「ウワはまり役……」とため息ついたほどのこれまで演じてきた幸の薄さを足して割らずに煮詰めたような役。

安西くんは有馬公生を生きていました。血の通った有馬くんがそこにいた。安西くんの演じる役はよく不幸だ不憫だネタにされがちですが*3、そういう人物の人生をぜんぶ取り込んできた安西くんは、いつも人の痛みのわかるお芝居をします。

一方で、もっと役者を信頼して、あるいは試して、コマの外の生身の芝居をさせてほしかったなあ。
「原作どおり」は決してコマの枠の中でのモーションを再現することではないと思うので、演出での勝負がもっと見たかった。私には、板の上で全員が自分の芝居をしているようには見えなかった。
そして、どう言葉を吟味してもおまえ誰だよなものの言い方になってしまうのだけど、23歳の役者に対して役不足だとすら感じたのは、彼がホンに負けることがなくなったことを意味しているのかなとも思います。

終盤の「さよなら」と「君のいない春が来る」はその時々で言い方を変えているようで、余計に血が通った言葉として胸に響きました。

あと、安西くんが誰よりも人の痛みがわかる役者ならば、和田くんは人一倍愛がわかる役者なのかな、という気がしました。


9月 少年たちBorn Tomorrow

すのすと担がみんな楽しそうでTL幸福度の高かった秋。実質ツアー形式の公演を任せてもらえたのも、劇場を埋めてたのも嬉しかったなー。
変な話ジャニ―の息のかかった公演ができるのも嬉しかった(そうじゃない仕事を低く見ているのではなく単にジャニヲタとしてのソウルの問題ね)。今年も無事に脱獄しないのでどんどん刑務所の影が薄くなっていきますがw二幕はきちんと意思をもった物語だし彼らもそれを大切に演じていたように見えたので、終始快い気持ちで観ていられたなあ。

あとⅥ Guysお披露目後に客席がどっと息を吸ったような心地がして、わかるわかるよ圧倒されちゃったよね物理的に強かったよね><などと年々贔屓が激しくなっていくすの担が申しておりました。


10月 舞台K MISSING KINGS

「Kステが生きてる」に尽きる。
Kの物語と同様、Kステは止めることの許されない時計の針とともに歩みを進めるほかないと強く感じた公演でした。

KMKはクロ、美咲、アンナがそれぞれ止まっていた時計の針を動かす物語だと私は思っているので、長くKステを務めてきたあらまきくん、植ちゃん、花凛さんがそれぞれとてもたくましく強く優しく座組を引っ張っていたのがすごくグッときた。その力は守るためにあるんだと、誰よりもこの3人が証明してくれているようなKステでした。

K信者当人が言うのもなんだけどKのキャラを演じるにはどうしても作品への関わりの深さと過ごした時間がものを言ってしまうところがあり*4、4作目ともなるとその越えられない壁がどんどん高くなっていくので新参キャストはどうしてもハンディキャップを負ってしまうなあ~と考えながら観てました。ただ演者を可哀想だ気の毒だと思わせた時点で舞台作品としては負けを意味すると思っているので、愛するKステがその壁を乗り越えてくれることを信じてやみません。

物理的な事情でロステに行けなったこともあって、生きてるKステを目の当たりにしてどこで泣いたかというと前説で泣きました。

11月 ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ

ストッパードは1日目に神を創られた


と私は本気で信じているくらいストッパードに世界と時空の掟を操られひっくり返された絶望と興奮が止みません。

以前パフォーマンス論をかじったときにオーディエンスの役割というものを学んでいたので、座長やロズ・ギルの「こちら側」への問いかけにはしびれるものがありました。目の前のギルがどんなに助けを求めても誰一人動けない。観客は自分の観たいものを信じる。劇中のすべての台詞が重なってようやく「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」が成立するのに、この戯曲を説明するとしたらたった一言「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」以外にない。たった一瞬の点を線にし、線を点に戻すストッパードの時空のトリックはアルカディア同様神様を創った人の為せる技としか思えません。

線を点に戻す、物語の「裏」を「表」にひっくり返すのが安西くんのホレーシオ。あの瞬間誰もが「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」と信じるための装置です。
あの瞬間ホレーシオは「どこ」に、「誰」に向かって語っていたのか、そんなことをずっと考えてしまう幕切れでした。


12月 ゆく年く・る年冬の陣 師走明治座時代劇祭

初めて彼を見つけた明治座から3年、その人がここにのぼりを立てる日が本当に来てしまいました。

たぶんシリーズで一二を争うスルメ演目だったんじゃないかとかそっちの意味で攻めてくるかーー!!!!とか、ある意味予想外の出来に今年も驚かされました。
そっちの意味で攻めるというのは、観客の観る力を要求してくる脚本だったということと、過去作を観続けてきた人に刺さる縦横のつながりを感じずにはいられないという点で、このシリーズが成熟しつつある今じゃないとできなかっただろうなあというところ。(でも初見の人を置いていかない丁寧な芝居だったのがまたいい)実際、私自身にも消化しきれていないところがまだまだあります。

これまで誰よりも「主従」というものに向き合わされてきた、そして時代の波に抗えないままだった両座長の演じる伊達主従は、意図的なものではなかったとしても、決して偶発的に生まれたわけではないと思っています。これまでの明治座の板の上で、若殿と中間管理職というピースがぴったりはまった辻本くんと、主君から目を離さず生きてきた安西くんが、今作で初めて肩を組んで笑って明日を探していく姿は、これまでの年末作品が見つけた一つの答えのようでもありました。時代の波には逆らえない、だけど俺たちには俺たちの生き方があるというラストに、過去作品の主従たちを思い浮かべた人は多いのではないでしょうか。

記録に残ったものだけが歴史といわれるように、政宗は誰もが知る「歴史」である一方で、重長は世の中の多くの人にとって「歴史」ではないかもしれない存在です。政宗が歴史にまっすぐな時間のベクトルを引く存在だとしたら、重長は「こんな人、いたかもしれないよね」という、歴史を立体にする役割を担っていたのかな、という風に私は観ていました。切り取り方を少し変える、板垣さんの言葉を借りるなら「読み方を変える」ことで、歴史はこんなにも違って見える、そんな祭シリーズの面白さがぎゅっと詰まった作品でした。

あと今年は恒例の?小ネタが「誰かが面白いことやらされる時間」じゃなくて「誰もが面白いことやってもいい時間」だったのがよかったなあ~と。隙あらば点取ってやろうというピリッとした気概とそれを支える三好兄弟および小助のまとまりが絶妙で、とっても心地よくテンポよく観ていられた一方気を抜くと誰かに心奪われてしまう27人PK戦状態だったのでマチソワ後のライフはゼロ。

木村と秀頼が並ぶだけで涙が滝のように流れるパブロフの犬になってしまったこととか滝口の大衆演劇スターの才を見出したるひまの慧眼とかのんたん(鬱)とかここじゃ書き足りないので残りはそのうち別エントリで。内藤大希が始まりそうな話の続きもwebで☆


いい芝居いい演技ばかりの1年でした。客席にいられなかった空白の2016年は取り返せないけど、今がいっちばん楽しいと心から思える時間がシアターにありました。今年も、大好きな人の時間と身体を借りて、全力で客席に臨み続ける所存です。負けねえ~~~~!!!!*5

*1:ハッシーに最近よそよそしいとバラされたわたなべくんチョーめんどくさくて愛おしかった

*2:わたしの初ジャニ現場はリアフェコンでした

*3:間違ってはいないし内輪で笑いの種にすることもあるけど外野におもしろツイートネタみたいに扱われるのはあまり面白く思っていない

*4:書籍を読み込んだ人の芝居はそれがすぐにわかる

*5:る年パンフと新年の安西ブログ参照