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その1秒に震えたい

天下人は麒麟の夢を見るか

麒麟にの・る」開幕、終演しました。
といってももう次の年末が始まってしまうのですが、ずっと下書きに溜めていた感想を、今だからこそぽつぽつと吐き出していきます。

お芝居を生業とする人が板の上に立てず、「あなたのお芝居が好き」という気持ちは今は実体を持った応援にはならず、ぐぬぬと地団駄を踏んでばかりですが、どうにもクローズドな場所で直接応援することができない性なので、これはただのファンのエゴとして、「彼、彼らのお芝居を観たい、配信を観よう、次の舞台に行こう」と門戸を一人でも広げていけたら幸いです。

「本編観に行けなかったけど、後からあの人が気になり始めてる」「る変よかった、過去作観たい」そんなあなたは、る・ひまわりDVDセールをご利用くださいませ。なんと9月14日まで!!

le-himawari.co.jp


(これが言いたかったがためにUPした)(おすすめは「る変」「僕のリヴァ・る」あと「遠ざかるネバーランド」)



(本編をこれからご覧になる方は、どうか、どうか読まないでくださいね)




天下人が麒麟を望むのか、麒麟が天下人を選ぶのか。
織田兄弟の辿った「同じ運命」のことを、ずっと考えています。


運命とは、呪いのことであり、夢のことである。


板垣組の年末は例年、大河小説のようなお腹いっぱいの読み応えがある一方で、前回のる戦に続いて、深夜に短編小説を読み終えたような寂しさと充実感とともに幕を閉じました。


昔みた夢が俺を責める 明智光秀

もとい、元・織田信長。もとい、信行の兄。
朝食の方向性の違いから生家を飛び出した嫡男。

行いだけを捉えれば、信行にとってはだいたいひどい兄貴、なんだよね。
織田家から逃げ出し、嫡男の責を弟に負わせ、拾われた明智の家にも尽くさない。
父の葬儀に片肌脱いでやってきたという逸話、真偽はどうあれ、ムックさんは信長と信行どっちで書くかな、なんて、うつけの異名の由縁は家を飛び出す前の兄にあるのでは、と考えてしまう。

ただ、あの日、弟と流れ星を見て以来、嫡男そして天下人の責を宿命づけられてしまったことは、喧嘩の嫌いな信長にとって酷なことだったのだろうと思います。石が転がり始める気配を察して、彼は家を飛び出したのかもしれません。まあ直接の原因はパンの山らしいですけど。

そんな、生き延びるのに必死な元・信長のもとに、麒麟はやってきます。
信長は結局、弟の転がる石を止めるために麒麟の力を借り、もう一度織田信長になろうとする。

麒麟の運命、あまりに引きが強すぎやしないかとぞっとします。


良くんのお芝居を見たのは随分と久しぶりで、こんなに凄みのある役者に進化したのかと圧倒されっぱなしでした。
飄々とそこにいながら、有無を言わさない「俺は俺」な生き方。
織田信行の兄という数奇な人生を、そんなに「そのまんま」に生きなくていいのに、酸いも甘いも経験しなくていいのに、と胸がぎゅっと締め付けられるお芝居でした。

昔みた夢が俺を動かす 織田信長

もとい、元・織田信行。もとい、信長の弟。

天文学者になりたかった弟は、流れ星を見た日から、少しずつ運命の坂を転がり始めていたのでしょう。
あの日の流れ星へと言い聞かせるように、俺は織田信長だ、と知らしめる様は、逃れられぬ運命ならば転がる坂ごと喰らわんとするようでした。

安西くんのファンとして、2019年の集大成と言える織田信長だったと思います。
「あのときの〇〇役っぽい」という話ではなく、重ねてきた物語、演じてきた人が、彼のお芝居を形作る血肉になったのだなという感覚です。
運命に飲み込まれるまいと、必死に生きるよすが、信長の名、を追い続ける健気な姿、世を統べんとする野心と威厳、声も出ないほどの静かな悲しみ、どれも、2018年でも2020年でもなく、いまの安西くんだから演じられたのだと思わせる、若くも成熟したお芝居でした。

ここ2年くらい安西くんのお芝居の「静」の凄みに注目しているのですが、信行もやっぱり、静かなときほど感情が動く。
表情ひとつ動かさないとき、腹の奥から笑いがこみ上げてくるとき、ああ泣いているのかな、とふと感じさせられていました。

彼もまた、織田信行、もとい織田信長の弟をまっすぐに生きてしまう役者です。

あくまでも比喩として、こんなの死ぬよりずっとつらいんじゃないか、という境遇で、血を懸命に巡らせて生きていく役が似合う。死ぬことを考える暇もないくらい、生きるよすがを掴み続けるのに必死な役。彼のお芝居からはいつも、生身の人間以上に、呼吸と血のあたたかさを感じます。

だからこそ最後は、この後どうなるかわかっているのに、否、わかっているからこそ、ふたりの「兄弟」として「そこにある」姿に気圧されてしまう。運命の流れ星に呑みこまれんとしながらも、俺は俺だ、俺は信長の弟だ、俺は信行の兄だ、と静かに佇む意地が、悲しく愛おしい兄弟でした。

出演が決まる前に偶然出会い、役者として意気投合したばかりだった両座長。
例年のW座長が静と動、陰と陽を補い合う(時にボケとツッコミ)ような組み合わせである一方で、公演前のバスツアーで初めてふたりのやりとりを見て、今年は違うな、と直感しました。これ、ふたりとも仕掛けてくるぞ、と。二人三脚ではなく背中合わせで、お互いがそれぞれの仕事をする、そんなふたりになりそうだなと楽しみにしていました。

そしてやっぱり、見た目も性格も違うのに、どこまでも背中合わせの両座長でした。

あの人を死なせるわけにはいかない 羽柴秀吉

一生ついてく!!!!!!!!!!(五体投地

いろんな角度から「戦国」を読み解いてきた年末シリーズだからこそ、かつての半兵衛が秀吉をどう演じるのかという、スターシステムのような楽しみが増えてきました。

時代劇の秀吉って信長に負けず曲者として、かつ年長者として去り際を描かれることが多い印象なんですが、年末の織田信長が「if」を担うトリッキーな存在だからこそ、側に控える忠臣・秀吉の、義に厚く、清廉として、またしたたかな振る舞いがとても新鮮でいい。農民出身の木下藤吉郎が天下人の階段に足を掛けんとする緊張感を匂わせるのも、作品のスパイスとして効いているように思います。

竹中くんを拾ったり、自身や三成の窮地を機転を利かせて乗り切ったり、木之本秀吉は猛獣使いのような切れ者だったのだろうな。

麒麟の鳴き声に振り向く秀吉の姿に、近い将来、明治座にみねくんののぼりが立つ予感が重なってぞくぞくしました。

それでもあなたが愛おしいのです 柴田勝家

安西座長とはまた違う意味で、1対1の感情のベクトルの向け方が鮮烈な役者、やかわ。
お市の方が文字どおり自分を見ていないことにきっと気づいているのに、目をそらさず、まっすぐ向き合う。
これは一幕のあれやこれやと全部繋がっていくんだよね。その一途さを純愛ととるか、恐ろしくすら感じるか、それが表裏一体なのも彼の芝居の面白さ。

お市をよろしく頼んだ 浅井長政

板の上の芝居に、板を降りた世界のことを持ち込むのは失礼だと自重しているのですが、彼も話していたことなので、、
二人分のお芝居を、ありがとうまさし。
まさしらしくもあり、それから彼に宛てられた役なんだなあという面影も感じながら、この作品で彼が演じたからこそのお芝居でした。
キレッキレに踊る鬼MAXもかわいかったよマナ。

僕が死んだ後もそうしてくれるかい 正親町天皇

る年を経てからというもの、1周まわって「みんなが観たい辻本祐樹」を演じてくる〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一見、数年前の彼に宛ててもおかしくないという印象もありつつ、脂の乗ってきた今だからこそ魅力的に感じる役。

「こんなにも人間らしいのに」なんて、すごい本を書くもんだなあムックさんは。
人間になれない、極楽浄土を願ってももらえない、顕如がそばを離れることができない人。観劇中のヲタクはひたすら「顕如のリーディングはよ」って思ってました。

織田信長はこの明智光秀が討ち取った 明智左馬之助

神永くん、こういう役似合うよ!!!!!!!似合う!!!!!!!!
憎めないちょっと残念なやつ、だけど芯は一本通ってる左馬之助は、彼の清廉なお芝居のスタイルと合わさってとっても味わい深いキャラクターに。


ほかにも、帰蝶の姉御a.k.a.朝はパンはじめ、忘れられない役ばかりなのだけれども、いったんこれまで。


最後のシーンで彼らが見たものは、その後の行く末を見せられた私たちからしたら呪いのようにも思えて胸がぎゅっと詰まるのだけど、何より彼らはあの流れ星を大人になっても「夢」と呼ぶことに、もっと胸がぎゅむっと苦しくなりました。

運命から逃げた兄、運命を喰らう弟、それでも彼らは、ふたりで流れ星を見た稀有な兄弟なのだという事実が、ずっしりと心に残りました。
兄弟って、なんなんだろうね。同じく兄弟を描いた「僕のリヴァ・る」で昔の記憶を呼び起こされたような不思議な感覚を、また思い出したのでした。


おっちゃんの側にいる麒麟は、あのときの麒麟じゃないのだけど。
現役麒麟、もし元麒麟の記憶を知るのなら、何もしなくていいから、おっちゃんの隣でただ星を眺める余生を、一緒に送ってあげてください。



さて、次の年末がはじまります。
今年はいつもの年末じゃないと諦めていた傍で、るーちゃんは「何も考えずただ楽しんで過ごす、いつもの年末」を必死に守っていてくれていました。
ありがとうるー、今年も大はしゃぎしよう。お腹抱えて笑って泣いて、2020年の最後なんも覚えてねー!って新年を迎えるのが、今から楽しみです。