君が君であるための、る年祭
る年が納まりません。
もっと観たかったという気持ちが日に日に増しています。それはもっとチケットを取っていればという後悔ではなく365日る年祭していたい方の感情なのでやり場がどこにもなくて困っています。
そんな具合にる年終わるの嫌だイヤだ俺たちの年末はまだ終わっちゃいないと駄々をこねていましたが、よくよく考えたら夏の発表から初夏の(今年もあるかな)上映会まで年末は続いているわけで、放っておいても1年の大半は年末でした。
例によって誰にフォーカスしてもだいたいしんどいので、とりあえずこれを吐き出さないと年が明けないという話をチームごとにつらつら。
劇中と二部エンディングで歌われた「僕が僕であるために」は単に座長の趣味なだけでなく*1SANADAMA・るそのものの副題なんだと思っています。重長が重長であるために、政宗が政宗であるために、それぞれが自分の思いや立場から「僕が僕であるため」の生き方を探し全うする物語のようでした。
チーム真田
超大型新人さなひろき率いる真田軍a.k.a.ベテランお兄さんありがとうズ。
佐奈くんのただならぬ大物感にザワつく界隈を見て、ああ座長が現れたときもこうだったなとふと懐かしく思っていました。今や追われる側になったんだなとも。
彼の華や度胸やポテンシャルに色がつく前に、できるだけたくさん難しい芝居をする経験に恵まれるといいなと無責任に願っています。いい意味で板の上以外での評判が通用しない、剥き身の彼の芝居を観てみたいです。
九度山のみんなのカリスマとして散った幸村は、「真田家最高」「真田家再興」を思いもよらない方法で形にした異端児なんだろうなあ。いろんな意味でお兄ちゃんと対になるような弟でした。
今年の座組のテンポの良さは真田軍のまとまりによるものが大きかったんじゃないかと。恒例のエチュード大会*2が「誰かがおもしろいことやらされる場」じゃなくて「誰でもおもしろいことやっていい場」だったのが個人的には何よりよかった。いや初参加組が冷や汗かきながら散っていくエチュードもそれはそれで大好きなんだけども。前世の名残と顔がうるさいは反則でしょう。。負けた。。
度胸ある若手陣の頑張りはもちろんだけど、彼らが板の上で華々しく得点あるいは大怪我できたのはそれを支えるお兄さんのアシストあってのことです。さと兄すげえよ。あと今回は龍くんと雄也氏の鉄壁の守備にほんとうに感謝しています。毎回どこで観ても思うけど宮下雄也はやはり強かった。板垣さんは彼にディフェンダーを託したんですね。彼の適性が特攻隊員ではないことを板垣さんはちゃんと見抜いてたんだなあ。
りゅうくんは年々芝居が豊かになっていって、2年前コサミンの芝居にすごく苦しみながらも充実していることを毎日のようにブログに綴っていたことなんかを思い出しつつ、彼の存在は大箱若手演劇における財産だなあと嬉しく思いました。
フィクションにおける「どう死ぬか」は「どう生きたか」の裏返しであることはもののふでも散々書いてきたんですが、ここでの表現もそれと同じものだったんだろうなと。彼らの義が無念に映る度合いも、きっとあの場にいた役の立場によって違ってくるのだろうな。
幽霊なのにスッポンから出る気が1ミリも感じられない昌幸パパが最THE高って話もうしましたっけ。
チーム豊臣
むりです(続行不能)
2回目以降、木村と秀頼が並ぶだけで滝のように涙と鼻水が溢れるパブロフの犬はいまだに中の人のツーショにさえ胸を痛めています。今作における特大ホームラン。
もう「杉江」の一言で会話が成立する勢いの年末TLだったわけですが、みんな同じこと思ったよね。杉江くんにあんな風に泣かされるなんて、もしかしたらファンは知っていたかもしれないのだけど、知らなかった。
安西ヲタ界隈においては、観劇後誰ともなしに三言目には「崇人くんさあ…」と言い出す様相を成しておりました。人の芝居に頬を殴られたような心地がしたのはそれこそ安西くん以来です。公演前のラジオでは異様に人懐っこい子としか認識していなかったので世の中にこんなにとんでもない芝居をする人がいたことを知らずにいた自分を恥じています。安西ヲタたぶんだいたい崇人くん好きだよね。
Kの女は崇人くんの流ちゃんが観たいです(言霊)
「おまえたち家族がグズでなければ命がけで仕えてやれたのに」という木村の無念があまりにしんどい。秀頼のもとに戻ってきたのも、秀頼の盾となったことも、それなのに秀頼の目の前で恨みを遺言にして果てたことも、ぜんぶ心からの本音だったのだろうから。そして、秀頼が木村をずっと兄のように思ってきたことも、恨まれ嵌められた末に木村の刀を拾い上げたことも、どちらも本音なのだろうな。
「僕が僕であるために」取捨選択ができなかった、「僕が僕であるため」の必死の生き方がとりわけ剥き出しだったのが、作中でいちばん若いこの二人。
大野の話をしますけど、大野さあ~~~~~~~~~!!!!!!!林くんにあんな風にしてやられるなんて誰も想像してなかったジャン。。。。閉幕後、ご本人が「自分で言うのもなんだけどいい役をもらったと思う」と仰っていたのが全てだと思います。一度結末を知ったうえで頭から大野を見直すとほんとうにつらい。ええんですええんです…ああ……
秀頼や木村と比べたら、大野はずっとずっと大人のやり方で自分の生き方を貫いたのだと思うと、一幕での秀頼への「ええんです」がいっそう堪える。
チーム上杉
猿狸で久しぶりに「ああ年末決まったな」と誰もが満場一致で頷いた陣くんなんですけども、彼はおそらくとても器用なんだけど、器用に振る舞わない人。彼の周りのいろんな人が言う「まじめ」は辞書どおりにストレートに受け取っていいんだと思います。
ここから先は要約すると「陣くん愛おしいごろごろ」と「みねくんに何度目かの恋をしてしまう」なのですっ飛ばしてください。
・る年塾で講義のペアになったみねくんと、前日にごはん食べながらどうしようどうしようと不安を漏らしていた
・あまりにまっすぐな目で話すので「できるよ」としか言えなかったみねくん
・仙台城の面積を東京ドームに換算すると0.0014△◎×個分、豆知識にと自分で計算してきた陣くん
・講義終了後、食事休憩中*3*4にみねくんを引き連れて謝罪に来た陣くん
・東京ドームの計算が間違っていました
・目を潤ませんばかりに詫びる陣くん
・なぜか一緒に頭を下げるみねくん
・みねくんなぜついてきた
・そんなんみねくんに恋してしまうから
・というか傍らで他の講師はだいたいユル~いレクチャーをしていたのである
・結論:陣くんは本当にまっすぐなお人
景勝と兼続の胸の内は、リーディングで明かされない限り観客に委ねられているのが板垣ムック組の奥行きそのものだよなあ。
あと、兼続のスケブスタンプほしいってアンケートに書かなかった自分をぶん殴りたい。
チーム徳川
もうこの時点でわかってたけど最強(物理)。配役見て勝ったと思ったのもわかる。(パンフより)
今作の何が嬉しかったって、鍋からの古参勢が各々自分の仕事をしていたことなんですよね。それは先述のりゅうくんもしかり。
滝口ユッキーには数年越しのあんたすげーよ!!!!を贈りたいです。炎上で蒔いた種が花開いた瞬間を見ました。年末シリーズを2年寝かせたらこんなにコクと旨味が詰まった滝口幸広が仕上がるんだからる・ひまわりに一生ついて行きたい。
ここでるーブロ史上いっちばん好きな記事を懲りずにまた貼りますね。
この時、ああるひまは彼を大衆演劇スターにしたいんだなと感じたのですが、こうしてあらためて振り返ると彼の時代劇スターとしての才を見抜いたるひまの慧眼にひれ伏すほかありません。
滝口幸広氏の持つ独特の空気感、暴挙にでるような役所の後に見せる繊細さや上品さを拝見し、客席に向かって魅せるやんちゃさとは別の、俳優「滝口幸広」氏の更なる違った側面を舞台上で拝見したいと思いました。
その答えが上様であり、大御所様だったのでしょう。
ふと見せる、紙で指を切ったような冷たい寂しさをドライに呑み込んで天下を見下ろしていた大御所様にもまた、天下泰平と引き換えに背負った十字架や亡霊が見えていたのかもしれません。
いぶも、すごくいい仕事をしていました。ここからは憶測の域を出ない話をしますが、彼が人前に立つ自分のあり方にひとつ区切りをつけたことで、なんというか、疑惑的、アンダーグラウンド的な面白さを払拭したお姫様を任せられたのかなあって。シャネル。
アドリブに弱い滝口とか若殿の殻を破れない辻本くんとか、「オネエ(疑惑)」だったいぶとか、情があるからこそ物足りなくてもどかしく思ってきた時期を越えて、今年ようやくそれぞれが自分の仕事をしているな、って思えたんだよね
— まき (@makimes) 2017年12月30日
天気予報のおじさん、天海の天と書いて天、天海の海と書いて海の天海の天気予報は、現在形でも過去形でもない、限りなく現在形に近い未来形の予報です。だからこそ、肩を組むふたりに被せた天気予報が彼らのすぐそこに見える未来そのもので、ほろりと涙を零さずにはいられないのでした。
あとけけこのパンツは日替わりでした。
けけこのパンツを見たゲストのちゃんとも、「前にリボンついててちゃんと女の人の履いてるんだなあって(にこにこ)」って感心してたけどその感想もなかなかヤバいと思います。お弁当箱の帯に気づかず蓋が開けられないちゃんとも(´・ω・`)💦にすっ飛んで蓋開けてあげるみかみまさしの甲斐甲斐しさ、、
そろそろ内藤大希が始まってる話してもいいですか?
3公演目くらいになると引きで芝居を観たくなるので、なるべく立体的に物語を見つめていたんですがどの瞬間だったか定かではないのですがこれわりと好きなタイプなのでは?と閃いたんですね。「歌のうまい本業のひと」から「のんたん」に転化したんですね。
年末がジャニヲタキラーな所以の大部分は芝居で引っかかった人のダンスを2部で観られるところにあるので、「踊れる」って気づいちゃったんですよね。*5
その日の帰りの電車
俺の中で内藤大希への判定が待たれる【好き】【気のせい】
— まき (@makimes) 2017年12月29日
そんなこんなで数日ほど【好き】判定待ち【気のせい】を続けてきたんですが、1月現在3月までの舞台のチケットが手元にあります。そういうわけで内藤大希はじめます。
ここに至るまでにインプットされた彼のパフォーマンスについての情報量が著しく少ないことに自分でも驚いているんですが、経験上誰かを好きになるアンテナは第六感なので、そしてまさにいま第六感が推せと言っているので、その答え合わせがこれから待っているのだと思います。
こぶしの利いた歌を歌いそうだなあと思っていたら、なんでも歌謡曲もお得意なんだとか。理解。
きっと彼は毒や寂しさを歌える人なんじゃないかな。ちなみにそういう人はだいぶ好きです。おそらくなんですが安西くんの芝居との親和性は高いです。
余談
たなかみりんぼしさんとないとうたいきくんが同じ人間だったことをたった今知って大混乱している
— まき (@makimes) 2017年12月30日
る年祭組になかなかみりんぼしなる人物が現れないのでりょうせいくんにみりんぼしの濡れ衣を着せていたわし
— まき (@makimes) 2017年12月30日
なんてことを下書きに保存して寝て起きたらとんでもないことになっていた件
俺たちのCAT*6が今年も鬼のように有能でそろそろ御中元送った方がいいかもしれない。
上口くんもなかなかのジャニヲタキラーなのでみなさん楽しみにしていてくださいね。上口くんとWたいきが本気で歌ったらクロスシアターの天井飛ばない?大丈夫?
のんたん(鬱)が日増しに鬱々と心に染み入ります。
真田家の義と弟の十字架を背負いながら、信之様が信之様であるための戦いはこれからもずっと続いていくし、彼がその戦いを止めることはないのだと思わせる幕切れでした。
重長が幸村を仙台に誘っている間、盆の向こう側から一歩ずつゆっくりと幸村の方へ歩みを進める信之が客席からちらっと見えるんですよね。角度によっては見えないのかな。だけど幸村に斬りかかるずっと前から、明らかに意図をもってずっと前から舞台の上にいたんです信之は。
あのとき舞台上には「幸村を生かしたいけど自分は生かす術を持たない重長」、「幸村を斬らなければならないから出会いたくない政宗」、そして「幸村を生かし続けてきながら手を下す運命を引き受けた信之」の三人がいました。「自分一人では助けられない幸村をなんとか生かしたい」という立場と感情でいえば三人とも同じ条件にいた中で、立場・感情それぞれの引きがいちばん強かった信之が幸村を手にかけることになります。
重長が「仙台で一緒においしいごはんが食べたい」と幸村を口説く陰で、静かに自分の仕事をしに向かう信之はそれを聞いていたのかなあ。これはホンの信之にも、信之を演じた内藤くんにも思うこと。
少なくとも、あの場で板の上に信之の姿を認めてしまった以上、観客はある意味それを考える十字架を背負ったことになるのかもしれません。
チーム伊達
愛と慈しみの仙台。四者四様の優しさでできています。
ベリー先輩ことみねくんさんはそろそろ化けの皮が剝がれて本当は学があって声が綺麗で面倒見がいいお兄さんだってバレ始めてないか心配。さらに二部で松村さんが「みねひろ」なんて呼んじゃったせいでみねくんが綺麗な名前してることもバレちゃうから気持ち悪いのガワを被っていてくれないと全人類がみねくんに恋してしまって取り返しのつかないことになる。
わたしは伊達成実への馴染みが人よりおそらく強いんですがその所以がこれなんですね、
成実ちゃんはね~~~政宗の幼なじみで対等だと思っていた政宗とやっぱり同じではなくて、ヘソを曲げたり手段を見誤ったりしながらも自分の正義を見つけていくのとあとハチャメチャにカワイイんですよお~~~~~~戦国★男士をよろしくお願いします。滝口が政宗なので混乱します。
そんなな成実像はベリー先輩にも通ずるところがあって、「おまえのできないことはおれがやる」にこの従兄弟の答えがぜんぶ詰まっているようでした。ふたりを説明するには、このたった一言で十分なのでしょう。
伊達主従のことは前のエントリでも書いたので重複するところもあるのですが、やっぱり私にとっての伊達主従は静と動であり、歴史のベクトルであり、それがゆえの二人三脚だったんだなあという答えでFAです。
パンフで座長が一部は重長が観客に愛されるかどうかが重要と話していたとおり、重長をどれだけ好意的に見られるかには個人差があったことと思います。もっと言えば、役者としての安西くんへの思い入れにも左右されてきたかもしれません。
重長は最後まで「僕が僕であるため」の大義を見つけられなかった人。筋が通っていない分観ていてイライラすることもあったかもしれません。
ただ、政宗が歴史にまっすぐな時間のベクトルを引く存在だとしたら、多くの人にとって「歴史」未満の重長は、その「歴史」を立体にする役目を担っていたように思います。戦国の運命を左右してきた歴史上の偉人たちにおける唯一の「想定外」として重長がいたのではないかな、というのが私が重長へ向けていたまなざしでした。ある意味、板の上、そして客席の人間に「はあ?」と言わせることが彼の仕事であり、その「はあ?」を最後の最後に回収することが、主役としての彼のいちばんの魅力だったのではないでしょうか。
公演前に語られていたように、重長の人物像はさながら「戦隊のレッド」のようです。ただ、重長は世界を変えられなかったレッドです。教科書上の歴史になれなかった、「歴史」が記録を意味するのであれば、世の中の多くの人にとっては何もできなかった存在ですらあります。重長は、決して後先顧みずに場を引っ掻きまわして世界を救う主人公ではなかったという事実がずしりと心に残りました。
だけど、だけど!政宗はきっと重長に救われて、最後のあの瞬間に政宗の見える世界が一変したのでしょう。歴史上の人物として、仙台の英雄として、己のやるべきこと、伊達政宗であり続けることに十字架を負った政宗に付き従った予定外の存在が、主君と肩を組んで歩きだすラストに晴天予報がこの上なくよく似合いました。
両座長は、これまでの年末作品で誰よりも主従に向き合ってきたであろう二人です。聡明で、だけど時代の流れの前では非力だった若殿から始まり、秀吉そして何より母礼を通じて中間管理職の苦労も背負ってきたであろう辻本座長が今回務めたのが、頭を下げ板挟みに遭いながらも、伊達の主としての業務責任から逃げない、そしてその重圧を笑顔でへらりとかわす主君。年末参戦以来ひたすらにその目に主君を映し続けた安西座長は、これまで時代の激流の中でついぞついぞ明かすことのなかった本音をこれでもかというくらいに爆発させます。そんな二人が肩を組んで「戦国以後」を歩んでいく姿からは、時代には逆らえない、だけど俺たちには俺たちの生き方がある、という、年末作品が出したひとつの答えのようなものを垣間見たような気がしました。
それと、重長の芝居は毎回ほんとうに気まぐれで、特に幸村を仙台に誘うあの超重要場面で毎回トーンが変わるんですよ。もともと日によってガラリと変えた演技を試してくる人なのでそんなに珍しいことではないのですが、今作では彼の試行錯誤が生み出した重長が舞台上でこれでもかというほど血を通わせて、誰よりも板の上の空気を吸って生きていたように思います。
いいですよ仙台、俺のわがままに付き合ってくれないかなって、そう話す重長の口調は、口説き文句のようであれば泣き笑いのようでもあり、かと思えば翌日にはへらりと笑って見せたり、そんな気まぐれが歴史をどうにか歪めんとしているようで、そんな期待を観客に抱かせてしまうような切なさがありました。
ところで過去に「る」の座長とは、なんて話をして、安西座長とは、はる年が明けてからあらためて、と締めたのですが、結局安西座長とは、の答えはこれ以上ないくらい明快にるーブロが言い当ててくれていたように思います。
座長として「芝居で背中をみせられるように頑張りたい」と、ひたすらにひたむきに全力で走り続けていた安西座長、
「お客様に最高のものをお観せしたい」と、絶対にぶれることなく、そして安西座長の背中を笑顔で押し続けていた辻本座長。
2人3脚で走りづづけて下さった両座長と、キャストの皆様の作品とお客様への強い想いにより
今回の祭シリーズも無事に幕を下ろすことが出来ました。
安西座長は、背中を追う座長だったとわたしは思っています。
私は彼のことを平成の北島マヤと呼んでいるように、彼は板の上ですべて答えをくれる役者です。
彼自身も、どんな番手の舞台であってもあまり立場でものを言いません。その代わりに芝居で自分の仕事をすると答えることがしばしばあります。
そんな彼の姿に、共演する役者仲間はよく「背中を見せてくれた」なんていう言葉を送っています。それと今回共演してなんだか座長ととても仲が良いご様子の崇人くんはパンフで「同い年の役者にこんな芝居をされたら自分はどう生き残ればいいのか」なんてことを話していました。
ファンのバイアスがかかっていてもなお、座組の中でもひときわ若い彼がこの大所帯を率いる意義は、24歳が芝居で背中を見せるということにあったのではないでしょうか。
その思惑の正誤はさておき、今年は初参加組をはじめ同年代の若手チームの活躍が目覚ましくて、隙あらば食ってやろうといわんばかりのバチバチギラギラした勢いが観ていてほんとうに眩しかったんです。その筆頭に立って、誰よりも板の上を駆け巡ったのが安西座長。贔屓目は百も承知です。なんなら制作の贔屓を一心に背負った役者です。そしてブラック企業制作と名高いるひまの贔屓を背負うということはすなわち誰よりも板の上で試され続けるという崖っぷちのライオンの子を意味します。それに見合うだけの仕事が彼にはできたと、贔屓目満々のファンは胸を張って言いたいです。
あとファン目線でしかない話をすると、この大一番で安西くんにこれだけお日様の匂いがする役を委ねてきたことに驚きとしてやられた感と嬉しさがいっぱいでした。二回に一回は不憫な目に遭うことで有名な彼だし*7年末では白目に次ぐ白目を剥いてきた彼にとってそれこそ戦隊のレッドはなかなか珍しい役回りでした。
る典での年末参戦以来、白石を裏切りキラキラ若手俳優の名声を裏切り幸薄い役者としての評判をも裏切った先に明治座ののぼりとともに待ち受けていたのが、太陽の光と人の愛をいっぱいに浴びた重長だって想像できなかったでしょ?それが「る」が彼に託したものなんだっていうのがたまりません。
それと、る典以来ずっと彼の背中を押し続けてきたであろう辻本くん。ぶれない静の辻本座長がいたから重長は縦横無尽に板の上を駆け巡って勝負ができたし、歴史の読み方をずらす動の安西座長がいたから、ぶれない政宗から一筋の光のような人間性を垣間見ることができた。この二人の二人三脚でこの作品が生まれたことを、心から嬉しく思っています。
「る」が引き合わせてくれるすべての縁に感謝しながら、今はひとまずの年末を納めることとします。
安西座長がつくる明治座の年末がずっと見てみたかった、そんなひそかな夢が叶いました。夢見ていた明治座ののぼりは、思い描いていたものよりもずっとずっと立派でした。
ここで必修科目
本当に、ありがとうございました!