Show must...

その1秒に震えたい

13年後に滝沢歌舞伎を卒業するあなたへ

言葉がまとまらなくて千穐楽を過ぎてしまったけど、大きなステージへ羽ばたく日を記念して。

 

 

拝啓 2010年のあなたへ

滝沢歌舞伎の幕が開いた春、あなたはまだ高校生でしたね。

初演は男子校のお祭りみたいで、当時Mis Snow Manはお兄ちゃんたちに可愛がられる末っ子のような立ち位置。自担が出てるからというより、この男子校空間がとにかく楽しいことが滝沢歌舞伎を観る動機になっていました。

この頃はまだチケットが余りまくっていて、自分もまだ高校に入ったばかりで、初演の年が一番通った気がします。将門の台詞はだいたい覚えています。

 

まだ前列には先輩がたくさんいて、いつかあの曲に出られたら、あの振付ができたら、そんな憧れとともに春を数え始めました。

 

拝啓 2011年のあなたへ

この頃は、毎年少しずつチャンスが増えて、立ち位置が上がっていくのが楽しくてたまらなかった。

 

まだ取りたい日に取れた頃なので、初日が明けた2日目、3日目に観劇するのが好きでした。

劇場を包むぴんと張った緊張感と、射抜くようなまっすぐな集中力、それがわたしにとっての春の醍醐味でした。日生の春は、一番好きなあなたがいる場所でした。

 

拝啓 2012年のあなたへ

この年は、わたしは日生にいませんでした。1月の革命を最後に受験休みを宣言して、彼らがもう一度名前をもらった春も、滝ソロの夏も、お願い来年までまだ6人のSnow Manでいて、と願いながら机に向かっていました。

 

あの頃は、受験が終わったときにはいなくなってしまわないか、そんなことを心配してしまうような不安定な時期でしたね。あの頃のわたしに、アラサーになっても6人はそのまんまだよ、かわいくて頼もしい弟までできたよって教えてあげたいな。

 

みんな気にしない素振りでいたけど、2012年5月3日まではずっとずっと不安だった。腫れ物に触れるような空気が不快だった。あのときもらった名前の大切さは人一倍。今まで守り続けてくれてありがとう。道は分かれてしまったけど、彼らにバトンを繋げてくれた3人もありがとう。

 

拝啓 2013年のあなたへ

この頃はまだ公式記念日なようなそうでないような頃だったので、実はたまたま、5月3日の公演に入っていました。

 

1年越しに怒られることになる「Jr.のトップ目指します」が生まれたのもこの公演でしたね。そのときは何も言われなかったけど、あの言葉が出てきたとき、連れと顔を見合わせてしまったのを鮮明に覚えています。

 

座長じゃなくてもそうじゃないだろって思ったし、でもそうとしか言えないことも、同じくらいわかっていたから。

この頃のSnow Manは、いろんなことを経験しすぎて、そして根っからの生真面目さが邪魔をして、デビューしたいというJr.なら当たり前に口にする目標を言葉にできなくなっていました。

 

大事なところで前に出られないと何度も何度も、舞台上でも怒られたけど、わたしはその生真面目さと、絶対に人を下げない穏やかさが大好きだったから、悪く言うこともできなかった。

 

あの頃は今みたいな未来を想像することすらできなくなっていたけど、今の景色は、あの頃からあなたがコツコツ積み上げてきたものでできていると思います。

 

拝啓 2014年のあなたへ

この頃から、春は楽しみと悔しさが同居する季節になっていきました。

 

先輩が次々と卒業して、グループの立ち位置はどんどん前に出ていくのが嬉しかった。それと同じくらい、大好きなあなたが表向きに評価されないことが、ずっとずっと、ずっと悔しかった。

 

たかがバックダンサーのファンが贅沢な悩みだと今でも思います。評価されてなかったんじゃなく、もらいたい評価と違うところを期待されているだけだともわかっていました。

それでも、殺陣のステフォも嬉々として買ってたけど、やっぱり他のメンバーみたいに役がほしかった。番頭を任されるなんて名誉なことだけど、いつかはハケる必要あった!?!?と今でも言い続けてるくらいにはやっぱり悔しかった。何を言われてもあなたのダンスが一番に好きなファンが他にもたくさんいたのに、周りと同じように評価されないことに納得がいかなかった。

 

あのときの悔しさは、初めての横アリで、一番前でフルで踊るいつかを見せてくれたときに、やっと晴らすことができた気がします。あのとき選んでくれて、大切に踊ってくれてありがとうございました。

 

拝啓 2015年のあなたへ

ごはんが食べられないくらい辛かった年でしたね。いま当時の雑誌を読むと、胸がぎゅっとなります。

 

わたしの周りにいるのは、盲目に付き従うわけではないけど、あなたの低すぎる自己評価の反動のように、あなたのことが大好きで、あなたに苦しい思いをしてほしくない人ばかりでした。だからあの日、あなたを悪く言う人を1人も見ていません。わたしは自分の目で見ていないものには何も言わないと決めているので、わたしが観た日は立派にお役目を務め上げていたことをここに記録しておきます。

 

少年たちが決まったのはこの年の夏でしたね。ステージの一番前の景色が綺麗だというあなたの言葉、ずっと大切にしています。一生分の涙を日生で流して、その先に来世の分まで嬉し涙を枯らすことになるなんて、当時は考えられませんでした。

 

拝啓 2016年のあなたへ

この年は日本にいなかったので、新橋の春を迎えていません。

 

この頃の雑誌で、自分は消去法の存在だと話していたこと、覚えていますか?メンバーそれぞれが個性を尖らせて活躍し始めた頃、それから、人前で喋る役割を無理に負わなくなった頃だったからかなあ。

そんなこと何一つないのに、ステージで一番輝くアイドルどまんなかの人だから好きなのに、と、あなたの自己評価の不当な低さにちょっと泣いたのを覚えています。

 

拝啓 2017年のあなたへ

犬!!!!!!!!!!

犬も歩けば棒に当たる、なべが歩けば客席が華やぐ、というくらい犬の才能がありすぎて、みんなに褒められ愛されるのが、そんな空気の中あなたが照れ臭そうにしてるのが嬉しかった。

 

拝啓 2018年のあなたへ

座長と過ごす最後の春。贔屓目1000%は承知の上で、この頃のあなたはもう頼りない後輩ではなく、滝沢一座の立派な一員でした。

 

もう少し傍にいて、なんて湿度の高いお願いをされて、もしかしたらもしかするかもしれない、そんな淡い期待が緩やかに高まっていった頃、大きなバトンを受け継ぐことが決まりました。

 

拝啓 2019年のあなたへ

期待と不安で迎えた2月。当時住んでいた京都の街を埋め尽くすポスターが嬉しかった。まだそのポスターに映る人を街の人は誰も知らなかった頃。自分だけがこの特別さを知っていることが少し誇らしかった。

 

この頃の不安を打ち消してくれたのは、守るものができたあなたの強さでした。

この場所を守り抜くと決めた眼差しの強さに、弟たちを守る強さに、これ以上何も言うまいと、ついて行こうと決めました。

 

夏のあの日、大人になってあんなに声を出して泣くなんて、まだ思いもしなかった頃。まだ雪のちらつく京都で、9人の花びらが舞い始めました。

 

 

拝啓 2020年のあなたへ

なんだかんだ、映画館に門戸が開かれたことで知り合いが観に行く機会が増えてよかったのかな。

 

映画館上映で必ず思い出すのは、10年も前の大泉の記憶。決して大きすぎないシアターだけど、右も左もあなたのファンがいる空間が嬉しくてたまらなかった日。

2020年のあなたへ、そして2022年のあなたへ。全国の映画館が、あなたのファンでいっぱいに埋め尽くされています。

 

拝啓 2021年のあなたへ

2年ぶりの現場でした。デビューして変わってしまったらどうしよう、なんて杞憂でしたね。

たくさん悔しい思いをしたあなたに、これ以上悔し涙を流してほしくなかったから、中止に胸が痛みました。

 

 

拝啓 2022年のあなたへ

初めて初日の幕が上がる瞬間に立ち会うことになりました。(AB日程式以前はわざわざ初日選ぶことなんてなかったので)

 

いつかのイントロが流れたときの客席の息を呑む音、聞こえてましたか?

悔しい思い出の方が多い曲だから、立派に舞台の真ん中で踊るいつかは涙腺にきてダメでした。

 

花道でクシャミ吹っかけられて、盛大に顔を背けたのはわたしです。リアクション取れなくてすみませんでした。その顔面が至近距離にくると人間は反射で逃げます。あなたの顔が悪い。

 

拝啓 2023年のあなたへ

この日のことを、わたしは一生忘れません。

 

まさか今年も初日に立ち会うことになるなんて思わなくて、まだ歌舞伎が終わるなんて実感も湧かないままだったのに。

いまやミリオンアイドルなのに、憧れのいにしえを踊る、シンメで無邪気に笑い合うあなたの顔は、13年前の最初の春のまま。

刻んだ青春のページを1枚ずつめくるように、最後の春が幕を開けました。

 

舞台上にいられなかった日も、プレッシャーで声が出なくなった日もあった新橋演舞場でひとりで堂々と歌ったMaybe、マイクいっぱいに吹き込まれる声、花道を歩く姿、集大成としてこれ以上ない時間でした。致死量の渡辺翔太を浴びてどうにかなりそうでした。

 

組曲は、新橋よりも帝劇の記憶がどうしても蘇ります。 この日の組曲に感じたものと同じことを、11年前のブログに書いていました。

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9人で咲かせた花鳥風月、もうこのまま死んじゃうんじゃないかって心配して、なのにこの瞬間が永遠に続けと思ってしまいました。

 

あなたはそうは思っていないかもしれないけど、あなたのファンの多くは、何よりわたしは、あなたのダンスに惚れ込んでファンになりました。

劇場の板の上で見せる、ピンと張り詰めた集中が、何かを貫きそうなくらいまっすぐな目が、しっかりとジャズの基礎を積み上げてきた丁寧なターンが、それでいて、音に感情を乗せる男らしさが、大好きで大好きで、そのまっすぐを見るためにわたしは毎年春にここにいたと言っても過言ではありません。

 

歌舞伎を卒業したら、あなたがこんな風に踊る場所もなくなってしまうのかなと思うと寂しくて、映画館でもこの一瞬を目に焼き付けていました。

 

 

舞台上で泣くなと教わって育ったあなたが、何より舞台上で誰よりも強がるあなたが、あんな風にぼろぼろ泣くほどの時間。

 

滝沢歌舞伎はわたしの青春の1ページだったけれど、あなたにとって、滝沢歌舞伎は青春のすべてだったのでしょう。

 

今だから言います。わたしは、あなたが苦しい思いをする滝沢歌舞伎が、大好きで憂鬱でした。

もっと認められる場所があるはずなのに、もっと輝ける役目があるのに、この劇場の外に出れば、たくさんの人の目に触れられるのに。

楽しみで仕方がないし、楽しくて仕方がない。なのに、春を迎えるたびに、何も変わらないことを実感して、それを悔しく思うあなたの言葉に触れて、キリキリと胸が痛みました。

たかがバックダンサーのファンが偉そうに、と今でも思うけど、それ以上の密度で過ごした特別な場所だったから。

早く大きくなって卒業してほしい、なんて冗談混じりに話したことがあるファンも大勢いるでしょうし、わたしもその1人です。

 

それでも、この春はあなたにとってどれだけ大切なものだったか、あなたを作ったすべてだったのか、言葉がなくても痛いほどにわかりました。

あの頃流した悔し涙も、なかなか迎えられなかった華々しい卒業も、全部この日のためにあったのだと思えた瞬間でした。

 

13年分の春の思い出は、わたしにとって、そしてきっとあなたにとっても、あまりにも故郷の匂いがしすぎるから。

今日、あなたが夢だった大きな大きなステージに羽ばたくまでに、この愛おしい足跡に区切りをつけて、青春の小箱をちゃんと置いてこなきゃいけなかったのだと思います。

 

拝啓、13年前のあなたへ。

舞台の後ろにいたあなたは、今日、舞台の真ん中でこの舞台を卒業します。

ここから13年、たくさん悔しい思いをするけれど、ごはんが喉を通らない日も、先が見えなくて焦る日もあるけれど、13年かけて一歩一歩進んだ階段の先には、5万人のステージが待っています。

 

13年間、本当によく頑張りました。

青春をくれて、本当にありがとうございました。

 

いつまでも舞い続ける満開の桜の花びらに、未来の願いを込めて。